岡城阯(桜見ごろ3月下旬頃~)日本さくら名所100選

岡城阯

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岡城阯(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。岡城阯は日本さくら名所100選に選ばれた桜名所です。岡城阯の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。岡城阯では例年桜が見ごろを迎える時期に岡城桜まつりが行われ、大名行列・甲冑武者行列が城下町を練り歩いたり、鉄砲隊演舞・騎馬武者早駆けなどのイベントが行われたりします。(要確認)

【岡城阯 アクセスマップ】
場所・・・大分県竹田市大字竹田2761

【岡城阯 アクセス・交通】
*JR豊後竹田駅からバス・緒方三重方面行きの場合、岡城入口バス停(徒歩すぐ)

*東九州道大分米良IC(車1時間)

【岡城阯 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【岡城阯 時間(要確認)】
9:00~17:00

【岡城阯 料金(要確認)】
個人
高校生以上300円、小・中学生200円

団体(20人以上)
高校生以上200円、小・中学生100円

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【岡城阯 歴史・簡単概要】
岡城阯(おかじょうあと)・岡城跡は大分県竹田市にあります。岡城は臥牛城(がぎゅうじょう)・豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも言われています。岡城は大分県と宮崎県の県境にある標高約1,757メートルの祖母山(そぼさん)を源とする一級河川・大野川(おおのがわ)の支流・稲葉川(いなばがわ)と白滝川(しらたきがわ)が合流する標高約325メートルの舌状台地に築城され、難攻不落の天然の要塞とも言われていたそうです。岡城は1185年(文治元年)に大野郡緒方荘の武将・緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に追われた頼朝の弟・源義経を迎える為に築城したとも言われています。緒方三郎惟栄は兵庫・大持浦を出航しようとして捕らえられ、翌1186年(文治2年)に群馬上野国沼田荘に流されたそうです。その後南北朝時代の1334年(建武元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の命を受けた豊後国守護・大友氏の分家である志賀貞朝(しがさだとも)が城を拡張し、岡城と名付けたとも言われています。(諸説あり)1593年(文禄2年)に関白・豊臣秀吉が大友氏第22代当主・大友義統(おおともよしむね)の領地を没収すると志賀親次(しがちかつぐ)も岡城を追われ、翌1594年(文禄3年)に中川秀成が入城して大規模に整備し、1597(慶長元年)に本丸、1663(寛文3年)には西の丸御殿が完成しました。その後台風・地震・火事などに見舞われ、1771年(明和8年)の火災では本丸・西ノ丸・御廟などを焼失しました。明治維新後の廃城令によって廃城になり、1871年(明治4年)から建造物が全て破却され、石垣だけが残されました。1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されました。ちなみに明治時代の作曲家・瀧廉太郎(たきれんたろう)は少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城で遊んだ体験が中学校唱歌「荒城の月(こうじょうのつき)」の作曲につながったとも言われています。岡城阯は東京ドーム22個分の面積約100万メートルで、岡城阯一帯は公園に整備され、ソメイヨシノ(染井吉野)を中心にヤマザクラ・ボタンザクラなど約1,000本の桜の木が植えられています。ちなみに岡城の城域は南北約362メートル・東西約2,500メートル・総面積約23万4千平方メートルにもなるそうです。なお岡城は日本100名城(95番)に選ばれています。
*参考・・・岡城阯(アクセス・歴史・・・)

【岡城阯 見どころ・文化財】
岡城阯の見どころは岡城阯の桜です。岡城阯の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。桜のビュースポットは二の丸跡・桜ノ馬場です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【岡城阯 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0974-63-0585(竹田市観光ツーリズム協会)

【岡城阯 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●日本さくら名所100選

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