大榑川桜並木(桜見ごろ3月下旬頃~)岐阜桜名所

大榑川桜並木

大榑川桜並木(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大榑川桜並木は岐阜の桜名所です。大榑川桜並木の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月下旬頃です。ソメイヨシノ(染井吉野)が例年3月下旬頃~4月上旬頃、サトザクラ(里桜)が例年4月中旬頃~4月下旬頃です。大榑川には長さ約7キロの輪中堤防にソメイヨシノ・サトザクラの2種・約1,000本の桜の木が植えられています。

【大榑川桜並木 アクセスマップ】
場所・・・岐阜県海津市平田町三郷田町三郷2330

【大榑川桜並木 アクセス・交通】
*名古屋鉄道羽島線新羽島駅(車約20分)

*名神高速道路安八SIC(車約12分)

【大榑川桜並木 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【大榑川桜並木 時間(要確認)】
自由

【大榑川桜並木 料金(要確認)】
無料

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【大榑川桜並木 歴史・簡単概要】
大榑川(おおぐれがわ)桜並木は岐阜県海津市平田町三郷田町三郷にあります。大榑川は海津市と岐阜県安八郡輪之内町の境を流れる木曽川(きそがわ)水系の一級河川・長良川(ながらがわ)を源とし、海津市平田町今尾付近で揖斐川(いびがわ)の旧河道と合流し、海津市と岐阜県養老郡養老町の境で揖斐川に注いでいます。大榑川の北側に福束輪中(ふくづかわじゅう)、南側に高須輪中(たかすわじゅう)があります。大榑川は1620年(元和5年)にかつて長良川の水害に悩まされた高須輪中の住民がが勝賀(海津市平田町)から今尾(海津市平田町)まで新川を掘ったのが起源です。その後1751年(寛延4年)に長良川との分流点に食違洗堰(くいちがいあらいぜき)が築かれ、1755年(宝暦5年)に薩摩藩によって大榑川洗堰が築かれ、1899年(明治32年)にオランダ人技師であるヨハニス・デ・レーケ監修によって長良川と完全に締め切られました。大榑川には長さ約7キロの輪中堤防にソメイヨシノ(染井吉野)・サトザクラ(里桜)の2種・約1,000本の桜の木が植えられ、桜並木が延々と続いています。2017年(平成29年)に桜は1755年(宝暦5年)に宝暦治水工事を行った薩摩藩の義士の功績を称え、総奉行・平田靱負(ひらたゆきえ)に因んで「平田靱負桜」、大榑川左岸堤道路約7キロが「平田靱負ロード」と命名されました。大榑川では菜の花が植えられている場所もあり、桜と菜の花を同時に楽しめることもあります。
海津市(かいづし)は岐阜県南西部(西濃地域)に位置しています。海津市は岐阜県の羽島市・養老町・輪之内町、愛知県の愛西市・稲沢市、三重県の桑名市・いなべ市に接しています。海津市は岐阜県南西部から愛知県北西部と三重県北部に広がる濃尾平野西部に位置し、木曽三川に数えられる木曽川(きそがわ)・長良川(ながらがわ)・揖斐川(いびがわ)の合流点にあり、西側に養老山地が南北に連なり、木曽川・長良川・揖斐川・大榑川・津屋川などが流れています。海津市には木曽三川などの水害から集落を守る堤防で囲まれた輪中(わじゅう)がたくさんあります。ちなみに旧海津町・旧平田町のほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯になっています。ちなみに海津市では江戸時代中期の宝暦年間(1751年~1764年)に薩摩藩によって宝暦治水工事が行われ、明治時代にオランダ人技師であるヨハニス・デ・レーケ監修によって木曽三川分流工事が行われたりしました。海津市には貝塚・古墳などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。海津市では古くから水害に悩まされ、鎌倉時代末期の1319年(元応元年)に最初の輪中である高須輪中(たかすわじゅう)が完成したとも言われています。海津市では中心部の高須が高須陣屋の城下町、江戸時代に伊勢と尾張・美濃を結ぶ交通の要地として発展しました。また北東部の今尾は河川交通の拠点として発展しました。海津市には国営木曽三川公園があります。
*参考・・・大榑川桜並木(アクセス・歴史・・・)

【大榑川桜並木 見どころ・文化財】
大榑川桜並木の見どころは大榑川桜並木です。大榑川桜並木の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【大榑川桜並木 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0584-53-1374(海津市役所産業経済部商工観光課)

【大榑川桜並木 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
岐阜桜名所・岐阜桜見ごろ

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