大須観音(アクセス・概要・見どころ・・・)

大須観音

大須観音

大須観音(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大須観音の大須文庫(大洲文庫)は古くから京都・醍醐寺と和歌山・根来寺の経蔵とともに三経蔵、京都・仁和寺と和歌山・根来寺とともに本朝三文庫と言われています。大須文庫は約15,000冊もの古典籍を所蔵し、その内の「真福寺本古事記」は日本最古の歴史書「古事記」の中で最古の写本と言われています。

【大須観音 アクセスマップ】
場所・・・愛知県名古屋市中区大須2-21-47

【大須観音 アクセス・交通】
*地下鉄鶴舞線・大須観音駅(徒歩すぐ)
*名古屋駅からバス・名鉄神宮前行き(18系統)の場合、大須観音バス停(徒歩すぐ)
*栄からバス・金山行き(中巡回系統)の場合、大須観音バス停(徒歩すぐ)

【大須観音 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【大須観音 時間(要確認)】
自由

大須文庫
10:00~16:00

【大須観音 料金(要確認)】
無料

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【大須観音 歴史・簡単概要】
大須観音(おおすかんのん)・宝生院(ほうしょういん)・寶生院は能信上人(のうしんしょうにん)が尾張国長岡庄大須郷(岐阜県羽島市大須)に創建したのが起源と言われています。1324年(元亨4年)に南朝初代天皇で、第96代・後醍醐天皇の勅願によって長岡庄に北野天満宮が造営され、1333年(元弘3年)に後醍醐天皇が深く帰依した能信上人が北野天満宮の別当職になり、寺号・北野山真福寺宝生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)を賜りました。その後真言宗の宗祖である弘法大師・空海が一刀三礼で刻んだと言われ、大阪・四天王寺(してんのうじ)に安置されていた観世音菩薩が移されて本尊になり、能信上人に篤く帰依した南朝第2代天皇で、第97代・後村上天皇が伽藍を建立して勅願寺になりました。能信上人は創建前に伊勢大神宮(伊勢神宮)に百ヶ日間こもり、ある夕べの霊夢に「大慈大悲の観世音こそは利益無量、この世の人びとに、もっともありがたいお方である。」とのお告げがあり、その際に拝した観世音が四天王寺に安置されていた観世音菩薩と寸分たがわなかったと言われ、それを聞いた後村上天皇の詔によって移されたと言われています。南朝第3代天皇で、第98代・後村上天皇の皇子・土御門任瑜法親王が第3代住職になり、寺領が1万余石になり、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6ヶ国の真言宗寺院が末寺になりました。その後戦国時代に織田信長から寺領5百石を寄進され、1612年(慶長17年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の命令により、犬山藩初代藩主・成瀬正茂(なるせまさなり)が現在の場所に移しました。1892年(明治25年)の大須の大火や1945年(昭和20年)の名古屋大空襲によって焼失し、1970年(昭和45年)に現在の本堂が再建されました。なお大須観音は聖観音を本尊として祀り、東京・浅草観音(浅草寺)と三重・津観音(恵日山観音寺)とともに日本三大観音に数えられています。
*参考・・・大須観音(アクセス・歴史・・・)ホームページ大須観音(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【大須観音 見どころ・文化財】
大須観音の見どころは戦後再建された本堂・仁王門です。ちなみに本堂は1970年(昭和45年)に再建されました。また境内に建立されている弘法大師修行像・芭蕉句碑・扇塚・大正琴碑・人形塚・歯歯塚も見どころです。

国宝・・・古事記 賢瑜筆 3帖、漢書食貨志 第四 1巻、ちょう玉集(ちょうぎょくしゅう)巻第十二、第十四、翰林学士詩集 1巻
重要文化財・・・絹本著色仏涅槃図、典籍・古文書多数

【大須観音 連絡先(要確認)】
電話番号・・・052-231-6525

【大須観音 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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