大山参道(紅葉見ごろ11月中旬頃~)栃木紅葉名所
大山参道
大山参道(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大山参道は栃木の紅葉名所です。大山参道の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。大山参道は長さ約180メートルに樹齢約100年のイロハモミジ約80本が植えられています。なお大山参道はかつて元帥・公爵であった大山巌(おおやまいわお)が眠る大山元帥墓所に続く参道です。
【大山参道 アクセスマップ】
場所・・・栃木県那須塩原市下永田地区
【大山参道 アクセス・交通】
*JR西那須野駅(徒歩約10分)
*東北自動車道西那須野塩原IC(車約15分)
【大山参道 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【大山参道 時間(要確認)】
自由
【大山参道 料金(要確認)】
無料
【大山参道 歴史・簡単概要】
大山参道(おおやまさんどう)は栃木県那須塩原市下永田地区にあります。大山参道はかつて元帥・公爵であった大山巌(おおやまいわお)が眠る大山元帥墓所に続く参道です。大山巌は江戸時代後期の1842年(天保13年)に薩摩藩士・大山綱昌(おおやまつなまさ)の次男として生まれ、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)で各地を転戦しました。明治維新後にヨーロッパに留学し、帰国後に西南戦争で政府軍の指揮官になり、1880年(明治13年)に陸軍卿になり、第1次伊藤内閣において最初の陸軍大臣になりました。日清戦争で陸軍大将として第2軍司令官になり、1899年(明治32年)に参謀総長になり、日露戦争で元帥陸軍大将として満州軍総司令官になり、「陸の大山、海の東郷」と言われました。その後元老・内大臣になり、1916年(大正5年)12月10日に内大臣在任のまま亡くなりました。大山元帥墓所はかつて大山巌の農場であったが、1916年(大正5年)に大山巌が没すると墓所が設けられ、参道が整備された。参道は宮内省技師・山本直三郎が設計し、イロハモミジと桜が1本おきに植えられていたが、桜はその後に伐採されました。大山参道は長さ約180メートルに樹齢約100年のイロハモミジ約80本が植えられています。なお大山参道は大山参道のモミジ並木として、那須塩原市の天然記念物に指定されています。
那須塩原市(なすしおばらし)は栃木県最北部に位置しています。那須塩原市は栃木県内で日光市に次いで2番目に面積が大きく、那須塩原都市圏の中心都市です。那須塩原市は栃木県の大田原市・矢板市・日光市・那須町・塩谷町、福島県の南会津町・下郷町・西郷村に接しています。那須塩原市は関東地方の一都六県にまたがる日本最大の平野である関東平野北端に位置し、那須野原北西一帯にあり、西部が山岳部になっており、北部を標高約1,917メートルの那須岳(なすだけ)山麓を源とする一級河川・那珂川(なかがわ)、南部を標高約1,460メートルの白倉山(しらくらやま)付近を源とする那珂川(なかがわ)水系の一級河川・箒川(ほうきがわ)が流れています。那須塩原市には縄文時代の槻沢遺跡があり古くから人が住んでいたとも言われています。那須塩原市では平安時代初期の806年(大同元年)に塩原元湯温泉(もとゆおんせん)が発見されたとも言われています。那須塩原市は江戸時代以前、「手にすくう水も無し」と言われるほど那須野が原が広がる不毛の台地だったが、田原藩が大田原用水(蟇沼用水)や山口堀(旧木ノ俣用水)を整備し、1885年(明治18年)に那須疏水が整備されると畑作地帯になり、太平洋戦争後に世界大戦後は水田地帯に変わりました。那須塩原市には塩原温泉郷・板室温泉・三斗小屋温泉・黒磯温泉・西那須野温泉・東那須野温泉などがあります。
*参考・・・大山参道(アクセス・歴史・・・)
【大山参道 見どころ・文化財】
大山参道の見どころは大山参道の紅葉です。大山参道の紅葉は例年11月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにイロハモミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【大山参道 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0287-37-5107(那須塩原市西那須野支所・産業観光建設課)
【大山参道 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●栃木紅葉名所・栃木紅葉見ごろ
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