日本三大祭り
日本三大祭りは祇園祭(京都・八坂神社)・天神祭(大阪・大阪天満宮)・神田祭(東京・神田明神)・山王祭(東京・日枝神社)です。神田祭と山王祭は隔年で大祭が行われています。ちなみに神田祭は西暦奇数年、山王祭は西暦偶数年に大祭が行われます。
【日本三大祭り 祇園祭】
祇園祭は869年(貞観11年)に全国各地に疫病が流行した際、平安京の禁苑(宮中の庭)である神泉苑に全国の国の数66ヶ国と同じ66本の鉾を立て、祇園の神(素戔嗚尊=牛頭天王)を祀り、更に八坂神社に3基の神輿を送って、災厄の除去を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源です。その後970年(天禄元年)からは毎年6月14日に行うようになったが、応仁の乱によって途絶え、1500年(明応9年)に町衆の手によって再興されました。ちなみに祇園祭の山鉾行事は国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。なお祇園祭は葵祭(上賀茂神社・下鴨神社)と時代祭(平安神宮)とともに京都三大祭りと言われています。
祇園祭・日本三大祭り
【日本三大祭り 天神祭】
天神祭(てんじんまつり・てんじんさい)は大阪天満宮が創建された翌々年951年(天暦5年)6月1日に社頭の浜から大川に神鉾を流し、流れついた浜にその年の御旅所・斎場を設けて禊祓い・みそぎはらいを行った際、神領民が船を仕立てて奉迎したのが起源と言われています。その後船の数が増え、関白・豊臣秀吉が大坂城を築城した1583年(天正11年)頃には船渡御の形が整い、元禄時代(1688年~1704年)以降は浪速のシンボルとして隆盛を極め、 享保年間(1716年~1735年)には祭りを支える講が誕生し、お迎え人形も登場するようになりました。幕末の政変や2度の世界大戦で中断があったが、第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)に船渡御が復活しました。なお天神祭は生玉夏祭(生國魂神社)と住吉祭(住吉大社)とともに大阪三大夏祭りと言われています。
天神祭・日本三大祭り
【日本三大祭り 神田祭】
神田祭(かんだまつり)は起源が明確ではありません。神田祭が「天下祭(てんかまつり)」と称されるような大祭になったのは江戸時代以降のことです。神田明神は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に江戸幕府初代将軍・徳川家康から戦勝の祈祷を命じられ、神田祭が行われる9月15日に勝利したことから家康に篤く崇敬され、社殿・神輿などが寄進されました。また神田祭の行列は江戸城内に練り込むことが許され、将軍が上覧したそうです。神田祭は元和年間(1615年~1624年)までは船渡御が行われ、延宝年間(1673年~1681年)までは毎年行われていたが、その後赤坂日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭(さんのうまつり)と2年に一度の隔年で行われるようになりました。ちなみに神田祭はかつて諌鼓鶏の吹貫の山車などの山車中心の祭りだったが、路面電車の開業・電柱の敷設、そして関東大震災・太平洋戦争により、御輿中心の祭りになりました。なお神田祭は山王祭(日枝神社)と深川祭(富岡八幡宮の)ともに江戸三大祭りと言われています。
神田祭・日本三大祭り
【日本三大祭り 山王祭】
山王祭・山王まつり・日枝神社大祭は起源が明確ではありません。山王祭は1478年(文明10年)に武将・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城の鎮護の神として、川越無量寿寺の鎮守・川越日枝神社を勧請したと言われている6月15日に行われていました。その後徳川将軍家に日枝神社が篤く崇敬され、山王祭は江戸幕府初代将軍・徳川家康を神の祭礼として、費用を幕府が負担したことから御用祭(ごようまつり)または天下祭(てんかまつり)とも言われました。その後山車・神輿などが江戸城内に入ることが許され、1635年(寛永12年)には3代将軍・徳川家光が江戸城の楼上から上覧しました。ちなみに江戸時代の城内渡御は106回を数えたそうです。延宝年間(1673年~1681年)までは毎年行われていたが、その後神田明神(かんたみょうじん)の神田祭(かんだまつり)と2年に一度の隔年で行われるようになりました。山王祭はかつて諌鼓鶏の吹貫の山車などの山車も巡行していたが、電柱の敷設などにより、御輿中心の祭りになりました。なお山王祭は神田祭(神田明神)と深川祭(富岡八幡宮)ともに江戸三大祭りと言われています。
山王祭・日本三大祭り
【日本三大祭り 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。
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