三田天満神社・天神公園(梅見ごろ2月中旬~)兵庫梅名所
三田天満神社・天神公園
三田天満神社・天神公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。三田天満神社・天神公園は兵庫の梅名所です。三田天満神社・天神公園の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。三田天満神社には樹齢200年を超える飛び梅が植えられています。なお三田天満神社隣接する天神公園には紅梅・白梅など約100本の梅の木が植えられています。
【三田天満神社・天神公園 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県三田市天神3-34-5
【三田天満神社・天神公園 アクセス・交通】
*JR三田駅(徒歩約20分)
*神戸電鉄三田駅(徒歩約20分)
【三田天満神社・天神公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【三田天満神社・天神公園 時間(要確認)】
自由
【三田天満神社・天神公園 料金(要確認)】
無料
【三田天満神社・天神公園 歴史・簡単概要】
三田天満神社(さんだてんまんじんじゃ)・天神公園(てんじんこうえん)は兵庫県三田市天神にあります。三田天満神社は起源が明確ではないが、千数百年以前の往古から三田神祠(みたじんじ)と称し、大歳神(おおとしのかみ)を祀っていたとも言われています。四方の信仰が篤く、二十五社天神の一として崇敬されたとも言われています。また三田の地名が奈良時代初期の713年(和銅6年)の風土記編纂の際、大歳大神(おおとしのおおかみ)の御領田(みけだ)の意味と記され、三田天満神社は奈良時代初期には既に祀られていたとも言われています。江戸時代に摂津三田藩主・九鬼氏の祈願所になり、江戸時代前期の1669年(寛文9年)に摂津三田藩第2代藩主・九鬼隆昌(くきたかまさ)が社殿・社地を修復しました。しかし1695年(元禄8年)に幣殿・拝殿が大破し、その後藩主から下賜された銀を使って氏子が再建しました。江戸時代中期の1734年(享保19年)に社殿・神宝・古文書などが焼失し、別当・松壽院の玄光が霊代を守護し、その後仮殿を建立して祀り、1739年(元文4年)に九鬼隆由の命によって現在の本殿などの社殿が再建されました。1871年(明治4年)に西山に祀られていた熊野神社・南三田に祀られていた大歳神社が合祀されました。三田天満神社は主祭神に菅原道真(すがはらのみちざね)、配祀神に大歳大神(おほとしのおおかみ)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)・大己貴大神(おおなむちのおおかみ)・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。三田天満神社には樹齢200年を超える飛び梅が植えられています。なお三田天満神社隣接する天神公園には紅梅・白梅など約100本の梅の木が植えられています。なお天神公園は三田八景に選ばれています。
三田市(さんだし)は兵庫県南東部に位置しています。三田市は神戸市・宝塚市・三木市・加東市・丹波篠山市・猪名川町に接しています。三田市は三田盆地(さんだぼんち)に位置し、武庫川(むこがわ)上流域にあり、北部・東部に山地がそびえ、南西部になだらかな丘陵地が広がり、武庫川・羽束川(はつかがわ)・青野川・黒川・東条川・四斗谷川(しとたにかわ)などが流れています。三田市には旧石器時代の溝口遺跡などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。三田市では中心市街地の三田が中世に金心寺(こんしんじ)の門前町として開け、江戸時代に九鬼氏・3万6千石の城下町として発展しました。ちなみに三田市の地名は金心寺の弥勒菩薩(みろくばさつ)坐像の胎内に記された恩田・悲田・敬田の三福田に由来するとも言われています。三田市では武庫川やその支流が形成した沖積地が早くから開け、兵庫県下屈指の穀倉地帯になっています。三田米は灘の清酒用の良質米になっています。また三田牛やマツタケの産地としても知られています。三田市では太平洋戦争後に武庫川流域の沖積地に電機工場などが進出し、その後工業団地が造成されて近代工業が発達しました。三田市では丘陵地で北摂三田ニュータウンなどの住宅地の開発が進んでいます。
*参考・・・三田天満神社・天神公園(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【三田天満神社・天神公園 見どころ・文化財】
三田天満神社・天神公園の見どころは三田天満神社・天神公園の梅です。三田天満神社・天神公園の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【三田天満神社・天神公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・079-562-2647(三田天満神社)
【三田天満神社・天神公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月