清瀧寺徳源院(桜見ごろ3月下旬頃~)滋賀桜名所
清瀧寺徳源院
清瀧寺徳源院(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。清瀧寺徳源院は滋賀の桜名所です。清瀧寺徳源院の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。清瀧寺徳源院には樹齢約300年のエゾヒガン(江戸彼岸)の一種であるイトザクラ(糸桜)・道誉桜(2代目)が植えられています。道誉桜は樹高約20メートル・幹周約2.3メートルです。なお3代目・道誉桜も植えられています。
【清瀧寺徳源院 アクセスマップ】
場所・・・滋賀県米原市清滝288
【清瀧寺徳源院 アクセス・交通】
*JR柏原駅(徒歩約25分)
*北陸自動車道米原IC(車約15分)
【清瀧寺徳源院 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【清瀧寺徳源院 時間(要確認)】
9:00~16:00
不定休
【清瀧寺徳源院 料金(要確認)】
大人500円、中学生200円
【清瀧寺徳源院 歴史・簡単概要】
清瀧寺徳源院(せいりゅうじとくげんいん)は滋賀県米原市清滝にあります。清瀧寺徳源院は鎌倉時代後期の1283年(弘安6年)に佐々木氏支流京極氏の始祖・京極氏信(ささきうじのぶ)が近江守(おうみのかみ)に任ぜられ、1286年(弘安9年)に創建しました。清瀧寺徳源院は京極氏信の法号「清滝寺殿道善大居士」に由来し、その後京極氏の菩提寺になりました。鎌倉時代末期から南北朝時代に婆娑羅(ばさら)大名として名を馳せた京極氏第5代当主・京極道誉(きょうごくどうよ・京極高氏(きょうごくたかうじ))が境内に桜の木を植えたと言われ、道誉桜と言われています。(滋賀県指定名木)江戸時代前期の1658年(万治元年)に京極宗家19代当主・京極高和(きょうごくたかかず)が讃岐国丸亀藩初代藩主に転封され、1672年(寛文12年)に京極宗家20代当主で、讃岐国丸亀藩第2代藩主・京極高豊(きょうごくたかとよ)が江戸幕府に懇願し、領地の一部とこの地を交換して清瀧寺徳源院の復興をはかり、三重塔(滋賀県指定文化財)を建立し、院号も京極高和の院号「俊徳院傑山道英代居士」から徳源院と改称しました。また近隣に散在していた歴代京極氏34基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)を集めて順序を正し、京極氏の墓所を整備しました。道誉桜(2代目)は樹齢約300年のエゾヒガン(江戸彼岸)の一種であるイトザクラ(糸桜)です。道誉桜は樹高約20メートル・幹周約2.3メートルです。なお3代目・道誉桜も植えられています。
米原市(まいばらし)は滋賀県北東部(湖北地域)に位置しています。米原市は滋賀県の長浜市・彦根市・多賀町、岐阜県の大垣市・揖斐川町・関ケ原町に接しています。米原市は北側の滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山地(いぶきさんち)と南側の滋賀県と岐阜県・三重県の県境沿いに位置する鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)の間に位置し、一級河川・天野川(あまのがわ)が市域の中央を貫流し、姉川(あねがわ)・矢倉川(やくらがわ)・丹生川(にゅうがわ)なども流れ、西側を琵琶湖(びわこ)に面しています。米原市は日本海側気候に近く、旧山東町・旧伊吹町は豪雪地帯で、かつて標高約1,377メートルの伊吹山(いぶきやま)で11メートルを超える積雪量を記録したこともありました。米原市は古くから中山道と北陸道の分岐点として発達しました。また天野川河口の朝妻湊(あさづまみなと)は琵琶湖水運の要港として栄えました。米原市は鎌倉時代に佐々木氏(ささきし)の支流・京極氏(きょうごくし)の本拠地として栄え、戦国時代に伊吹山山麓の上平寺(じょうへいじ)に京極館を移したこともありました。米原市では江戸時代初期の1603年(慶長8年)に中心地区の米原に米原湊が開かれ、彦根三湊に数えられました。また江戸時代に柏原(かしわばら)・醒井(さめがい)・番場(ばんば)に中山道、米原に北国街道の宿場が置かれました。1889年(明治22年)に東海道鉄道と北陸鉄道線の分岐点になると鉄道の町として発展しました。
*参考・・・清瀧寺徳源院(アクセス・歴史・・・)
【清瀧寺徳源院 見どころ・文化財】
清瀧寺徳源院の見どころは清瀧寺徳源院の桜です。清瀧寺徳源院の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【清瀧寺徳源院 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0749-57-0047(清瀧寺徳源院)
【清瀧寺徳源院 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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