石龕寺(紅葉見ごろ11月中旬頃)兵庫紅葉名所
石龕寺
石龕寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。石龕寺は兵庫の紅葉名所です。石龕寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。石龕寺では紅葉が見ごろを迎える時期に石龕寺もみじ祭りが催され、ライトアップが行われます。(要確認)石龕寺は高源寺・円通寺とともに丹波紅葉三山とも言われ、丹波もみじめぐり全9カ寺にも数えられています。
【石龕寺 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県丹波市山南町岩屋2
【石龕寺 アクセス・交通】
*JR谷川駅(車約10分)
*北近畿豊岡自動車道氷上IC(車約30分)または中国自動車道滝野社IC(車約30分)
【石龕寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【石龕寺 時間(要確認)】
8:00~20:00
【石龕寺 料金(要確認)】
大人300円、中高生100円、小学生以下無料
【石龕寺 歴史・簡単概要】
石龕寺(せきがんじ)・岩屋寺(いわやでら)は兵庫県丹波市山南町岩屋にあります。石龕寺は縁起書によると第31代・用明天皇の丁未(ひのとひつじ)の年、587年(用明天皇2年)に第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし・厩戸皇子(うまやどのおうじ))が創建したとも言われています。聖徳太子が深く帰依した毘沙門天(びしゃもんてん)が本尊として祀られました。石龕寺には本堂から山上約800メートルに奥の院があり、その石窟が寺号・石龕寺の由来となっています。「龕」には仏像などを安置する厨子(ずし)や壁面の窪みを意味します。鎌倉時代前期の1241年(仁治2年)に焼尾神社が鎮守として祀られたと言われています。後鎌倉時代から室町時代に隆盛を極めたと言われています。古典文学「太平記(たいへいき)」によると南北朝時代に起こった観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の際、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)とその嫡男で、室町幕府第2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)がこの地に身を寄せたとも言われています。戦国時代に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(あけちみつひで)が丹波攻略を開始し、1579年(天正7年)に兵火によって仁王門を除く、全山が焼失しました。江戸時代以降に徐々に復興し、奥の院・本堂(毘沙門堂)・鐘楼堂・持仏堂・庫裏・客殿などが再建されました。石龕寺にはモミジなどが分布しています。また兵庫県下最大とも言われるコウヨウザンも植えられています。なお石龕寺には丹波市観光100選に選ばれています。
丹波市(たんばし)は兵庫県東部に位置しています。丹波市の名称は旧国名・丹波国に由来しています。丹波市は兵庫県の篠山市・西脇市・朝来市・多可町、京都府の福知山市に接しています。丹波市は瀬戸内海と日本海のほぼ中間に位置し、瀬戸内海の播磨灘に流れ込む加古川水系の一級河川・加古川と日本海の若狭湾に流れ込む由良川水系の竹田川の最上流にあり、西部に粟鹿山・三国岳・竜ヶ岳・篠ヶ峰など800メートル級の山々が連なっています。ちなみに丹波市は本州でもっとも低い中央分水界とも言われています。丹波市は瀬戸内海型気候・内陸型気候に属し、年間の寒暖差や昼夜間の温度差が大きく、秋から冬に掛けて発生する朝霧・夕霧は「丹波霧」とも言われています。丹波市は平安時代末期から京都・石清水八幡宮などの荘園があり、鎌倉時代に加古川水運の河港や但馬から京都に至る街道筋の宿場町として発展しました。その後南北朝時代に室町幕府の御料所になり、安土桃山時代には明智光秀の家臣・斎藤利三が丹波黒井城に入城し、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母になる春日局が誕生しました。丹波市は現在丹波グリ・丹波ナス・丹波大納言小豆・丹波黒大豆・丹波山の芋などの農業が盛んに行われています。ちなみに春日町は丹波大納言小豆の発祥地とされているそうです。
*参考・・・石龕寺(アクセス・歴史・・・)
【石龕寺 見どころ・文化財】
石龕寺の見どころは石龕寺の紅葉です。石龕寺の紅葉は例年10月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。紅葉の見ごろにモミジなどが色付きます。紅葉のビュースポットは境内全域です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【石龕寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・079-577-0235(石龕寺)
【石龕寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●兵庫紅葉名所・兵庫紅葉見ごろ
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