関善光寺(桜見ごろ3月下旬頃~)岐阜桜名所

関善光寺

関善光寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。関善光寺は岐阜の桜名所です。関善光寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。関善光寺には参道にソメイヨシノ(染井吉野)などの桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)関善光寺からは関市を見渡すことができます。

【関善光寺 アクセスマップ】
場所・・・岐阜県関市西日吉町35

【関善光寺 アクセス・交通】
*長良川鉄道関駅(徒歩約3分)

*東海北陸自動車道関IC(車約10分)

【関善光寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【関善光寺 時間(要確認)】
9:00~17:00

【関善光寺 料金(要確認)】
不明

広告

【関善光寺 歴史・簡単概要】
関善光寺(せきぜんこうじ)・宗休寺(そうきゅうじ)は岐阜県関市西日吉町にあります。関善光寺は江戸時代中期の1745年(延享2年)に美濃国武儀郡関村の庄屋・広瀬新太郎利忠が先祖の遺言により、代々の霊を葬る為に一寺建立を発願して日吉ヶ丘の地に小庵を建立したの起源と言われています。先祖である武田信玄の家臣・広瀬利広は甲府城が落城すると関村(関市)に移り住んで、住居を下九日町(相生町)に置き、広瀬新太郎利忠は広瀬利広の五世に当たります。その頃新しく寺院を創建することは禁止されていた為、広瀬新太郎利忠は不破郡青墓村に無檀家で、大破した竹本院を見つけ、1754年(宝暦4年)に寺社奉行から引寺決裁を受けました。竹本院は院号のみだったことから広瀬新太郎利忠は祖父(歇山宗休居士)・祖母(慈岳妙祐大姉)の法名から山号・寺号・院号を妙祐山宗休寺竹本院としました。1753年(宝暦3年)に下総国印幡郡和泉村の泉倉寺から丈六の阿弥陀如来三尊を乞い請けました。1798年(寛政10年)に東叡山寛永寺護国院第13世住職で、信州善光寺別当大勧進第80世貫主・等順(とうじゅん)が宗休寺で出開帳(関善光寺)を催し、そのことが縁になり、上野東叡山寛永寺住職で、輪王寺門跡・公澄法親王(こうちょうほうしんのう)から善光寺如来を拝領し、1818年(文政元年)に善光寺を模した本堂・戒壇が建立されました。
関市(せきし)は岐阜県中南部(中濃地方)に位置しています。関市の名称は市内にあった濃州関所に由来しています。関市は岐阜県の岐阜市・美濃市・美濃加茂市・本巣市・各務原市・下呂市・郡上市・山県市・富加町・坂祝町・七宗町、福井県の大野市に接しています。ちなみに関市は合併によって市域が美濃市を挟むようにV字型になり、日本の人口重心地にも位置しているそうです。関市は木曽三川(長良川・揖斐川・木曾川)のひとつで、木曽川水系の一級河川・長良川とその支流でいずれも一級河川である板取川(いたどりがわ)・武儀川(むぎがわ)・津保川(つぼがわ)などの流域にあります。関市は鎌倉時代から日本刀の鍛冶地(刀鍛冶)として知られ、戦国時代に全盛期を迎え、「関の孫六」とも言われる刀工・孫六兼元(まごろくかねもと)などを生みました。2代目・孫六兼元が造刀した刀は武田信玄・豊臣秀吉・黒田長政・前田利政・青木一重などの武将が佩刀(はいとう・帯刀)したと言われています。関市はドイツのゾーリンゲン (Solingen) ・イギリスのシェフィールド (Sheffield) とともに刃物の3Sと言われています。関市では明治時代にナイフ・かみそりの刃・はさみなどが生産されるようになり、最近は金属洋食器・厨房品なども生産されています。
*参考・・・関善光寺(アクセス・歴史・・・)

【関善光寺 見どころ・文化財】
関善光寺の見どころは関善光寺の桜です。関善光寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【関善光寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0575-23-6726(関市観光協会)

【関善光寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
岐阜桜名所・岐阜桜見ごろ

関連記事

広告

広告

ページ上部へ戻る