せんだん轟の滝・五家荘(紅葉見ごろ10月下旬頃~)熊本紅葉名所
せんだん轟の滝・五家荘
せんだん轟の滝・五家荘(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。せんだん轟の滝は熊本の紅葉名所です。せんだん轟の滝の紅葉見ごろは例年10月下旬頃~11月下旬頃です。せんだん轟の滝では滝見台まで遊歩道が整備され、滝見台から滝の全貌を眺めることができます。また滝つぼまでコンクリートの階段も整備され、滝つぼから滝を見上げることもできます。
【せんだん轟の滝・五家荘 アクセスマップ】
場所・・・熊本県八代市泉町仁田尾
【せんだん轟の滝・五家荘 アクセス・交通】
*JR有佐駅(車約1時間30分)
*九州道松橋IC(車約1時間30分)
【せんだん轟の滝・五家荘 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【せんだん轟の滝・五家荘 時間(要確認)】
自由
【せんだん轟の滝・五家荘 料金(要確認)】
無料
【せんだん轟の滝・五家荘 歴史・簡単概要】
せんだん轟の滝(せんだんとどろのたき)・栴檀轟の滝は熊本県八代市泉町仁田尾にあります。せんだん轟の滝は熊本県と宮崎県の県境にある標高約1,739メートルの国見岳(くにみだけ)を源とする五木川が五木小川と合流した後の下流にあたる球磨川水系最大の支流・川辺川(かわべがわ)にある落差約70メートルの滝です。せんだん轟の滝の名称はかつて近くにあったセンダン科センダン属の落葉高木であるセンダンの大樹に由来しています。ちなみに五家荘では滝のことを轟(とどろ)とも言い、五家荘には落差約38メートルの梅の木轟(うめのきとどろ)もあります。せんだん轟の滝はチャートの断崖から直瀑に流れ落ち、迫力があって男性的とも言われ、対照的に梅の木轟はどこか気品があって女性的とも言われています。せんだん轟の滝は固いチャートなどでできた岩盤を川辺川が侵食して形成されたとも言われています。せんだん轟の滝には周辺にモミジ・カエデ・ブナ・ドウダンツツジなどが分布しています。なおせんだん轟の滝は九州中央山地国定公園(きゅうしゅうちゅうおうさんちこくていこうえん)・熊本県立自然公園に属し、日本の滝百選に選ばれています。
五家荘(ごかのしょう)は八代市東部で、日本三大急流に数えられる一級河川・球磨川(くまがわ)の最大支流である一級河川・川辺川(かわべがわ)の水源地付近に散在する久連子(くれこ)・椎原(しいばる)・仁田尾(にたお)・葉木(はぎ)・樅木(もみき)の5地域の総称です。ちなみに川辺川は熊本県と宮崎県の境に位置する標高約1,739メートルの国見岳(くにみだけ)を源とする五木川が源で、五木小川と合流して川辺川になり、人吉盆地で球磨川に合流します。五家荘は周囲に標高1,300~1,700メートルの九州山地の山々があり、南接する五木村(いつきむら)とともに秘境と言われていました。五家荘は平安時代中期に昌泰の変(しょうたいのへん)で大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)の子孫が左座氏(ぞうざし)と称して仁田尾・樅木を治め、平安時代末期の源平の合戦で敗れた平清盛の孫である平清経(たいらのきよつね)の子孫が緒方氏(おがたし)と称して久連子・椎原・葉木を治めたとの伝承が残されています。また五家荘には轆轤(ろくろ)を使って椀・盆などの木工品を製造する木地師(きじし)が集団移住したとの伝承も残されているそうです。五家荘には古い習俗や生活様式が今も残され、木庭 (こば) と称する焼畑農耕が小規模ながら行われているそうです。ちなみに壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人が京都を偲んで舞ったとも言われ、久連子に継承されてきた久連子古代踊りは国選択無形重要文化財に指定されています。
*参考・・・せんだん轟の滝・五家荘(アクセス・歴史・・・)
【せんだん轟の滝・五家荘 見どころ・文化財】
せんだん轟の滝の見どころはせんだん轟の滝の紅葉です。せんだん轟の滝の紅葉は例年10月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年10月下旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・カエデ・ブナ・ドウダンツツジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【せんだん轟の滝・五家荘 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0965-36-5800(五家荘観光案内所)
【せんだん轟の滝・五家荘 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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