仙巌園(桜見ごろ2月上旬頃~)鹿児島桜名所

仙巌園
仙巌園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。仙巌園は鹿児島の桜名所です。仙巌園の桜見ごろは例年2月上旬頃~4月上旬頃です。仙巌園にはソメイヨシノ(染井吉野)・カンヒザクラ(寒緋桜)・ガンタンザクラ(元旦桜)・サトザクラ(里桜)・ヤマザクラ(山桜)など5種・約150本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【仙巌園 アクセスマップ】
場所・・・鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【仙巌園 アクセス・交通】
*JR鹿児島中央駅からバスの場合、仙巌園前バス停(徒歩すぐ)
*九州自動車道姶良IC(車約20分)
【仙巌園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【仙巌園 時間(要確認)】
8:30~17:30
【仙巌園 料金(要確認)】
一般(高校生以上)1,000円、小学生・中学生500円
【仙巌園 歴史・簡単概要】
仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町にあります。仙巌園は別名磯庭園(いそていえん)とも言われる敷地面積約5ヘクタールの庭園(大名庭園)です。仙巌園は江戸時代前期の1658年(万治元年)に薩摩藩第2代藩主で、島津氏19代当主・島津光久(しまづみつひさ)が築いた島津家別邸が始まりです。その後歴代当主が改築を重ね、幕末に薩摩藩第11代藩主で、島津氏第28代当主・島津斉彬(しまづなりあきら)が敷地の一部でヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こし、日本のガス灯発祥のひとつに数えられました。1888年(明治21年)に焼失した鹿児島城に代わりに一時島津公爵家の住まいになり、戦後華族制度の廃止によって鹿児島市の管理下に置かれたが、1957年(昭和32年)に島津家に返還され、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定されました。仙巌園は借景技法によって桜島を築山、鹿児島湾(錦江湾(きんこうわん))を池に見立てられています。仙巌園には磯御殿・正門・錫門・獅子乗大石灯籠・鶴灯籠・反射炉跡などがあります。仙巌園にはソメイヨシノ(染井吉野)・カンヒザクラ(寒緋桜)・ガンタンザクラ(元旦桜)・サトザクラ(里桜)・ヤマザクラ(山桜)など5種・約150本の桜の木が植えられています。なお仙巌園ではひなまつり・流しびな・曲水の宴・菊まつりなどのイベントが行われています。
鹿児島市(かごしまし)は鹿児島県のほぼ中央部に位置しています。鹿児島市は鹿児島県の県庁所在地で、九州地方の中ではいずれも政令指定都市である福岡市・ 北九州市・熊本市に次いで4番目に人口が多い都市です。鹿児島市は薩摩川内市・南さつま市・南九州市・姶良市・垂水市・日置市・指宿市に接しています。鹿児島市は市域が九州本島南部に位置し、錦江湾(鹿児島湾)西岸にある薩摩半島(さつまはんとう)の北東部と桜島から構成され、錦江湾に面しています。桜島はかつて南北約10キロ・東西約12キロの島であったが、1914年(大正3年)の桜島大正大噴火によって錦江湾東岸にある大隅半島(おおすみはんとう)と陸続きになりました。鹿児島市は1341年(暦応4年)頃に守護大名で、島津家第6代当主・島津氏久(しまづうじひさ)が清水町の東福寺城(とうふくじじょう)を攻略して居城にしたことが都市としての基礎が築かれたと言われています。その後1602年(慶長7年)に薩摩藩初代藩主・島津家久(しまづいえひさ・島津忠恒(しまづただつね))が鹿児島城(鶴丸城)を築城し、江戸時代に薩摩藩77万石の城下町として発展しました。鹿児島市では幕末から明治時代に掛けて、西郷どん(大西郷・南洲翁)と言われた西郷隆盛(さいごうたかもり)などの政治家・官僚・軍人などの多くの人材を輩出しました。
*参考・・・仙巌園(アクセス・歴史・・・)
【仙巌園 見どころ・文化財】
仙巌園の見どころは仙巌園の桜です。仙巌園の桜見ごろは例年2月上旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【仙巌園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・099-247-1551(仙巌園)
【仙巌園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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