柴又帝釈天題経寺(アクセス・概要・見どころ・・・)
柴又帝釈天題経寺
柴又帝釈天題経寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。柴又帝釈天題経寺の板本尊には片面に「南無妙法蓮華経」の題目が書かれ、法華経・薬王品の経文が彫られ、もう一方には右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒の相を表した帝釈天本尊が彫られています。帝釈天はインド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」の中で最も多くの賛歌を捧げられている軍神・武勇神インドラです。
【柴又帝釈天題経寺 アクセスマップ】
場所・・・東京都葛飾区柴又七丁目10番3号
【柴又帝釈天題経寺 アクセス・交通】
*京成線・柴又駅(徒歩約3分)
*北総公団線・新柴又駅(徒歩約12分)
*JR小岩駅から京成バス・金町行きの場合、柴又帝釈天バス停(徒歩すぐ)
*JR金町駅から京成バス・金町行きの場合、柴又帝釈天バス停(徒歩すぐ)
【柴又帝釈天題経寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり(柴又帝釈天・幼稚園優先)
【柴又帝釈天題経寺 時間(要確認)】
5:00~20:00
庭園・彫刻ギャラリー
9:00~16:00
12月28日~1月3日は休園です。
【柴又帝釈天題経寺 料金(要確認)】
庭園・彫刻ギャラリー共通
個人
大人400円、小・中学生200円
団体(20名以上)
大人300円
【柴又帝釈天題経寺 歴史・簡単概要】
柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)・題経寺(だいきょうじ)は1629年(寛永6年)に第2代・題経院日栄上人(だいきょういんにちえいしょうにん)が師である千葉下総中山法華経寺(ほけきょうじ)第19世・禅那院日忠上人(ぜんないんにっちゅうしょうにん)を開山として創建しました。ちなみに法華経寺は1545年(天文14年)に第4代古河公方・足利晴氏(あしかがはるうじ)から称号「諸法華宗之頂上」を賜り、若宮・法華寺と中山・本妙寺が合寺したのが起源と言われています。その後本堂が荒廃し、1779年(安永8年)春に第9代・亨貞院日敬上人(こうていいんにちきょうしょうにん)が荒廃した本堂を改修した際、梁上から江戸時代中期から一時所在不明になっていた日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮聖人親刻と言われる板本尊・帝釈天が見つかりました。板本尊は長さ2尺5寸・幅1尺5寸・厚さ5分で、片面が日蓮聖人の真刻、病即消滅本尊の形木、片面が帝釈天王の像です。板本尊が見つかった日が庚申(かのえさる)だったことから帝釈天の縁日は庚申の日とされ、その後庚申信仰が高まりました。江戸時代中期に天明の大飢饉(1782年(天明2年)~1788年(天明8年))が起こり、1783年(天明3年)に亨貞院日敬上人が自ら板本尊を背負って、江戸(東京)・下総(千葉・茨城)の町を歩き、感得した一粒符(いちりゅうふ)を病人に施与し、板本尊を拝ませると不思議なご利益があったとも言われ、帝釈天信仰が高まって柴又帝釈天と知られるようになりました。ちなみに一粒符の御符は庚申の日に特別祈願された方に授与されます。その後柴又帝釈天は小説家・夏目漱石作の「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」などの多くの文芸作品に登場し、映画「男はつらいよ(監督・山田洋次)」公開後は主人公・車寅次郎(寅さん・フーテンの寅)ゆかりの寺として全国に知られるようになりました。なお柴又帝釈天題経寺は本尊・大曼荼羅を祀っています。
*参考・・・柴又帝釈天題経寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ・柴又帝釈天題経寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【柴又帝釈天題経寺 見どころ・文化財】
柴又帝釈天題経寺の見どころは大客殿前に広がる池泉式庭園・邃渓園(すいけいえん)です。邃渓園は1965年(昭和40年)に向島の庭師・永井楽山(ながいらくざん)が設計しました。邃渓園は滝などが配され、江戸最後の名園とも言われています。なお彫刻ギャラリーも見どころです。帝釈堂の内外には数多くの木彫が施され、内陣の外側にある10枚の胴羽目彫刻は法華経の説話を選び出して彫刻が施されています。彫刻は第16世・観明院日済上人の発願により、高山英洲が法華経の絵解きの図を参考に下絵を描き、1922年(大正11年)から1934年(昭和9年)に金子光清・加藤寅之助ら10人の彫刻師が制作しました。
【柴又帝釈天題経寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3657-2886
【柴又帝釈天題経寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
テスト