新発田城址公園(桜見ごろ4月上旬頃)新潟桜名所
新発田城址公園
新発田城址公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。新発田城址公園は新潟の桜名所です。新発田城址公園の桜見ごろは例年4月上旬頃です。新発田城址公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)など約260本の桜の木が植えられ、新発田城址公園桜まつり・ライトアップが行われています。(要確認)
【新発田城址公園 アクセスマップ】
場所・・・新潟県新発田市大手町6
【新発田城址公園 アクセス・交通】
*JR新発田駅(徒歩約25分)
*日本海東北道聖籠新発田IC(車約10分)
【新発田城址公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【新発田城址公園 時間(要確認)】
自由
【新発田城址公園 料金(要確認)】
無料
【新発田城址公園 歴史・簡単概要】
新発田城址公園(しばたじょうしこうえん)は新潟県新発田市大手町にあります。新発田城址公園は城下町である新発田の象徴である新発田城(あやめ城)を含む市街地中心地に整備された公園です。新発田城は鎌倉時代に鎌倉幕府創設に貢献した鎌倉幕府御家人・佐々木盛綱(ささきもりつな)の傍系・新発田氏が築城し、その居城になったと言われています。戦国時代に新発田重家(しばたしげいえ)が上杉宗家17代目・上杉景勝(うえすぎかげかつ)に反乱を起こしたが、新発田氏は滅亡し、新発田城は落城して破却されたと言われています。桃山時代に上杉景勝が会津に移封されると越後国新発田藩初代藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が入封し、破却された新発田城跡地に新たな新発田城の築城を開始し、1654年(承応3年)頃に完成したとも言われています。本丸には天守の代わりに三重櫓が設けられました。その後1668年(寛文8年)と1719年(享保4年)に火災に見舞われたが、その都度再建されました。1873年(明治6年)の廃城令によって二の丸隅櫓(重要文化財)・表門(重要文化財)以外の大部分の建物が破却され、城跡は陸軍歩兵第16連隊が置かれました。現在、新発田城一帯は陸上自衛隊の新発田駐屯地や新発田城址公園になっており、2004年(平成16)に三階櫓・辰巳櫓が復元され、同年7月から辰巳櫓が一般公開されています。なお新発田城は日本100名城(31番)に選ばれています。
新発田市(しばたし)は新潟県北部(下越地方)に位置しています。新発田市は新潟県北部の中核都市です。新発田市は新潟県の新潟市・阿賀野市・胎内市・聖籠町・阿賀町、福島県の喜多方市、山形県の小国町に接しています。新発田市は新潟県北部から中部に広がる越後平野(えちごへいや)北部に位置し、東部に標高約2,105メートルの飯豊山(いいでさん)・標高約1,420メートルの二王子岳(にのうじだけ)などの山々がそびえ、加治川(かじかわ)・落堀川(おちぼりがわ)・新発田川(しばたがわ)などが流れ、北西部に白砂浜海岸が広がって日本海に面しています。新発田市は鎌倉時代初期に佐々木氏の傍系・新発田氏が新発田城を築城したとも言われ、安土桃山時代に新発田重家の乱(しばたしげいえのらん)によって新発田城は落城して新発田氏は滅亡しました。その後豊臣家の家臣であった溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が入封して新発田城を築城し、その城下町として発展しました。溝口氏は治水・干拓事業に尽力し、幕末には額面上の石高(表高(おもてだか))以上の生産がありました。ちなみに新発田市は現在も稲作が盛んで、良質なコシヒカリの産地として知られています。新発田市は明治時代から軍都として発展し、戦後は新潟県北部の商業都市として発展しました。
*参考・・・新発田城址公園(アクセス・歴史・・・)
【新発田城址公園 見どころ・文化財】
新発田城址公園の見どころは新発田城址公園の桜です。新発田城址公園の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【新発田城址公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0254-26-6789(新発田市観光協会)
【新発田城址公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●新潟桜名所・新潟桜見ごろ
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