鹿野城跡公園(桜見ごろ4月上旬頃~)鳥取桜名所
鹿野城跡公園
鹿野城跡公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。鹿野城跡公園は鳥取の桜名所です。鹿野城跡公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。鹿野城跡公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約500本の桜の木が植えられ、鹿野桜まつりが行われたり、ぼんぼりが灯されたりします。特設ライトアップも行われるそうです。(要確認)
【鹿野城跡公園 アクセスマップ】
場所・・・鳥取県鳥取市鹿野町鹿野892
【鹿野城跡公園 アクセス・交通】
*JR浜村駅からバスの場合、立町バス停(徒歩約5分)
*山陰道鳥取西IC(車約20分)
【鹿野城跡公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【鹿野城跡公園 時間(要確認)】
自由
【鹿野城跡公園 料金(要確認)】
無料
【鹿野城跡公園 歴史・簡単概要】
鹿野城跡公園(しかのじょうせきこうえん)は鳥取県鳥取市鹿野町鹿野にあります。鹿野城跡公園は鹿野城跡を整備した公園です。鹿野城は起源が明確ではないが、南北朝時代に因幡の国人領主・志加奴氏(しかぬし・鹿野氏)の居城だったとも言われています。「陰徳太平記(いんとくたいへいき)1717年(享保2年)出版」によると1544年(天文13年)に城主・鹿野入道(しかのにゅうどう)が山陰・山陽11ヶ国の内の8ヶ国(出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆)の守護を兼任した中国地方一の大大名・尼子晴久(あまごはるひさ)に攻撃されて討ち死にしたとも言われています。1580年(天正8年)に関白・豊臣秀吉による第1次鳥取城攻撃の際に織田方の城になり、尼子氏の旧臣で、因幡鹿野藩初代藩主・亀井茲矩(かめいこれのり)が城主になり、江戸時代初期に亀井氏は鹿野藩3万8,000石の領主となって近世城郭に改築しました。鹿野城は標高約148メートルの山頂に整備された本丸を中心に二の丸・三の丸と階段状に配置され、亀井茲矩が朱印船貿易を行っていたことから天守以下の櫓・門に仏教に由来する名称が付けられ、鹿野城も王舎城(おうしゃじょう)とも称していたそうです。1617年(元和3年)に第2代藩主・亀井政矩(かめいまさのり)が津和野藩に転封され、1617年(元和3年)に因幡鳥取藩主・池田光政(いけだみつまさ)が鳥取に入府し、家老・日置忠俊(へきただとし)が城主になりました。1628年(寛永5年)の火災によって一部が焼失し、「鹿野筆縋」によると1644年(正保元年)に破却されたとも言われています。1868年(明治元年)に鳥取池田氏の支藩・東館新田藩の藩庁である陣屋が一時置かれました。鹿野城跡公園には鹿野城の内堀・外堀・石垣などが残されています。鹿野城跡公園にはソメイヨシノなど約500本の桜の木が植えられています。
*参考・・・鹿野城跡公園(アクセス・歴史・・・)
【鹿野城跡公園 見どころ・文化財】
鹿野城跡公園の見どころは鹿野城跡公園の桜です。鹿野城跡公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【鹿野城跡公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0857-22-3318(鳥取市観光案内所)
【鹿野城跡公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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