心田庵(紅葉見ごろ11月下旬頃~)長崎紅葉名所
心田庵
心田庵(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。心田庵は長崎の紅葉名所です。心田庵の紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。心田庵では紅葉が見ごろを迎える時期に紅葉ライトアップが行われています。(要確認)なお心田庵は通常非公開で、春の新緑の季節・秋の紅葉の季節に20日間程度一般公開されています。(要確認)
【心田庵 アクセスマップ】
場所・・・長崎県長崎市片淵2丁目18番18号
【心田庵 アクセス・交通】
*長崎駅からバス・水源地跡行きの場合、心田庵入口バス停(徒歩約3分)
【心田庵 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【心田庵 時間(要確認)】
9:00~17:00
【心田庵 料金(要確認)】
大人300円、高校生以下無料
【心田庵 歴史・簡単概要】
心田庵(しんでんあん)に長崎県長崎市片淵あります。心田庵は江戸時代前期の建物と日本庭園です。心田庵は江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)~天和年間(1681年~1684年)に何兆晋(がちょうしん)が長崎片淵郷に建てた別荘です。何兆晋は江戸時代初期の1628年(寛永5年)に長崎に来日し、長崎奉行から屋敷取得が許されて永住権を与えられた住宅唐人・何高材(がこうざい)の長男で、1658年(万治元年)に通訳である唐小通事(とうこつうじ)になり、父・何高材とともに長崎・清水寺(きよみずでら)本堂(国の重要文化財)を寄進しました。ちなみに清水寺は1623年(元和9年)に京都・清水寺の僧・慶順によって創建されたと言われています。心田庵の名称は「心田菴記・1682年(天和2年)」に「何兆晋の心の田畑はとても広大で、まさに子が種をまき、孫が耕すごとく、頃の宝である」と記されていることに由来するとも言われています。また「心田菴記」・「心田菴図・1817年(文化14年)」には茶道のことも記され、長崎の茶道では心田庵が重視されたそうです。心田庵は長崎市に寄贈され、2013年(平成25年)2月に長崎の史跡に指定されました。心田庵にはモミジなどが植えられ、鏡面テーブルに映る日本庭園の景色が美しいと言われています。
長崎市(ながさきし)は長崎県南部に位置しています。長崎市は長崎県の県庁所在地で、長崎県内で人口が1番多い都市です。長崎市は諫早市・西海市・時津町・長与町に接しています。長崎市は西彼杵半島(にしそのぎはんとう)南部から長崎半島に位置し、南東部は長崎湾・南西部は橘湾(たちばなわん)・北東部は大村湾(おおむらわん)に面し、海上に世界文化遺産に登録され、軍艦島(ぐんかんじま)と言われる端島(はしま)などの離島があります。長崎市は市域がすり鉢状となっており、中心部が三方を山に囲まれていることから山の斜面に住宅地があり、「階段の街」・「坂の街」とも言われています。長崎市は暖流の影響を強く受け、九州地方の他の都市に比べると寒暖差が小さと言われています。長崎市は戦国時代の1570年(元亀元年)に日本初のキリシタン大名で、大村氏第12代当主・大村純忠(おおむらすみただ)が長崎港を開港し、翌1571年(元亀2年)にポルトガル船が入港しすると国際的な港町・貿易港として発展しました。長崎市は江戸時代の鎖国後もオランダ・中国との貿易で唯一海外に開かれた窓口になり、出島・唐人屋敷・長崎会所などが設けられ、その後長崎県の行政・産業・文化の中心地になりました。
*参考・・・心田庵(アクセス・歴史・・・)
【心田庵 見どころ・文化財】
心田庵の見どころは心田庵の紅葉です。心田庵の紅葉は例年11月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにモミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【心田庵 連絡先(要確認)】
電話番号・・・095-829-1193(長崎市)
【心田庵 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●長崎紅葉名所・長崎紅葉見ごろ