城山稲荷神社(桜見ごろ3月下旬頃~)埼玉桜名所
城山稲荷神社
城山稲荷神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。城山稲荷神社は埼玉の桜名所です。城山稲荷神社の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。城山稲荷神社にはソメイヨシノ(染井吉野)など約80本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)城山稲荷神社には樹齢400年以上のケヤキも植えられています。
【城山稲荷神社 アクセスマップ】
場所・・・埼玉県本庄市本庄3-5
【城山稲荷神社 アクセス・交通】
*JR本庄駅(徒歩約15分)
*関越自動車道本庄児玉IC(車約10分)
【城山稲荷神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【城山稲荷神社 時間(要確認)】
自由
【城山稲荷神社 料金(要確認)】
無料
【城山稲荷神社 歴史・簡単概要】
城山稲荷神社(しろやまいなりじんじゃ)は埼玉県本庄市本庄にあります。城山稲荷神社は戦国時代末期に本庄藩の藩祖で、本庄城城主・小笠原信嶺(おがさわらのぶみね)が城跡に残した稲荷神社が始まりです。本庄城は戦国時代の1556年(弘治2年)に本庄城初代城主・本庄実忠(ほんじょうさねただ)が古河公方家(こがくぼうけ)を迎え撃つ為に築城したとも言われています。1567年(永禄10年)に北条軍に攻められて本庄城が落城し、北条方に服属するが、1580年(天正8年)に本庄近朝(ほんじょうちかとも)が本庄城2代城主になりました。1590年(天正18年)の関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原征伐により、小田原城に籠城した本庄近朝が自害して本庄氏が滅亡し、本庄城も落城しました。その後本庄藩の藩祖・小笠原信嶺が城主になり、1598年(慶長3年)に小笠原信嶺が亡くなると本庄藩初代藩主・小笠原信之が城主になるが、1612年(慶長17年)に小笠原信之が古河藩に移封すると本庄藩が廃藩になり、本庄城も廃城になりました。城山稲荷神社にはソメイヨシノ(染井吉野)など約80本の桜の木が植えられています。また城山稲荷神社には境内中央に樹齢400年以上、根回り約13.3メートルのケヤキ(埼玉県指定文化財)も植えられています。なお城山稲荷神社では毎年4月の第2日曜日に春季大祭が行われています。
本庄市(ほんじょうし)は埼玉県北西部に位置しています。本庄市の名称は鎌倉時代に武士団・武蔵七党に数えられた児玉党(こだまとう)を構成した庄氏(しょうし)から派生した本庄氏がこの地に土着したことに由来しています。本庄市は埼玉県の深谷市・美里町・上里町・神川町・長瀞町・皆野町、群馬県の伊勢崎市・玉村町に接しています。本庄市は群馬県利根郡みなかみ町にある標高約1,840メートルの大水上山(おおみなかみやま・大利根山(おおとねやま))を源とし、筑後川(ちくごがわ・筑紫次郎(つくしじろう))・吉野川(よしのがわ・四国三郎(しこくさぶろう))とともに日本三大暴れ川に数えられる利根川水系の本流で一級河川・利根川(とねがわ・坂東太郎(ばんどうたろう))中流部右岸に位置し、南部に秩父山地北麓の丘陵地があります。本庄市は江戸時代に中山道の宿場・本庄宿が置かれ、中山道最大の宿場町として栄えました。また市場町としても栄えました。本庄市は明治時代以降は繭の集積地になりました。
*参考・・・城山稲荷神社(アクセス・歴史・・・)
【城山稲荷神社 見どころ・文化財】
城山稲荷神社の見どころは城山稲荷神社の桜です。城山稲荷神社の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【城山稲荷神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0495-25-1174(本庄市観光協会)
【城山稲荷神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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