城山公園(桜見ごろ4月上旬頃~)富山桜名所
城山公園・今石動城跡
城山公園・今石動城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。城山公園は富山の桜名所です。城山公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。城山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約600本の桜の木が植えられ、城山お花見祭り・ライトアップが行われています。(要確認)城山公園には展望台も設置されています。
【城山公園・今石動城跡 アクセスマップ】
場所・・・富山県小矢部市城山町9
【城山公園・今石動城跡 アクセス・交通】
*あいの風とやま鉄道石動駅(徒歩約20分)
*能越自動車道小矢部東IC(車約20分)または北陸自動車道小矢部IC(車約20分)
【城山公園・今石動城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【城山公園・今石動城跡 時間(要確認)】
自由
【城山公園・今石動城跡 料金(要確認)】
無料
【城山公園・今石動城跡 歴史・簡単概要】
城山公園(しろやまこうえん)は富山県小矢部市城山町にあります。城山公園は今石動城(いまいするぎじょう)跡に整備された公園です。今石動城は安土桃山時代の1585年(天正13年)4月に豊臣政権の五大老の一人で、加賀百万石の祖・前田利家(まえだとしいえ)が越中攻略の拠点として標高約186メートルの白馬山(城山)に築城し、前田利家の末弟・前田秀継(まえだひでつぐ)が守将として入城しました。その後前田氏と佐々氏が戦った今石動合戦の舞台になり、豊臣秀吉が滞在したこともあったが、佐々成政(さっさなりまさ)が降伏すると前田秀継が兄・前田利家から木舟城・4万石を拝領し、前田秀継の子・前田利秀(まえだとしひで)が今石動城の城代になりました。1586年(天正13年)の天正の大地震(てんしょうのおおじしん)で木舟城が倒壊して前田秀継が圧死すると家督を継いだ前田利秀が木舟城を復旧を断念し、今石動城に本拠が移されました。しかし1593年(文禄2年)に前田利秀が26歳で病死すると1594年(文禄3年)に今石動城が廃城になり、名代(みょうだい・城代)が置かれて加賀藩・前田氏が統治しました。城山公園では1921年(大正10年)に白馬山の麓に小遊園地を造営した際に桜の木が植えられました。その後2007年(平成19年)に展望台が設置されました。なお城山公園は市街地から観桜路と呼ばれる小道を登っていくと白馬山中腹にあります。
小矢部市(おやべし)は富山県西部に位置しています。小矢部市は富山県の高岡市・砺波市・南砺市、石川県の金沢市・津幡町に接しています。小矢部市は富山県・石川県の県境にある標高約1,572メートルの大門山(だいもんざん)を源とし、富山県の七大河川に数えられる一級河川・小矢部川(おやばがわ)中流域に位置し、北西部から南西部に山地・中山間地があり、東部から南部に砺波平野(となみへいや)が広がり、小矢部川・子撫川(こなでがわ)などが流れています。小矢部市は市街地を除くと全般に散居村ののどかな景観が広がっています。小矢部市は中心市街地の石動(いするぎ)が北陸道(ほくりくどう)の倶利伽羅峠(くりからとうげ)麓の宿場町、また南部の津沢(つざわ)とともに小矢部川の河港として発展しました。ちなみに倶利伽羅峠などには源平合戦ゆかりの史跡が多く残されています。小矢部市にはあいの風とやま鉄道・能越自動車道・東海北陸自動車道・北陸自動車道が通り、高岡市・金沢市のベッドタウンになっています。なお小矢部市にはヨーロッパの有名建築などを模した洋風建築の公共施設(保育所・小学校・中学校)が多くあり、メルヘンの街として知られています。
*参考・・・城山公園・今石動城跡(アクセス・歴史・・・)
【城山公園・今石動城跡 見どころ・文化財】
城山公園の見どころは城山公園の桜です。城山公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【城山公園・今石動城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0766-30-2266(小矢部市観光協会)
【城山公園・今石動城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●富山桜名所・富山桜見ごろ
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