黒石寺蘇民祭2/11・12(日程・時間・・・)

黒石寺蘇民祭2019は2019年2月11日・12日に行われます。黒石寺蘇民祭の蘇民袋争奪戦では将軍木で作った六角柱の小間木がぎっしりつまった蘇民袋が小刀で切り裂かれると厄災を免れるとも言われる小間木を下帯の姿の若者が奪い合います。また空になった蘇民袋も奪い合い、最後に蘇民袋の首に部分を握っていた者が取主となります。

【黒石寺蘇民祭2019 日程・時間(要確認)】
黒石寺蘇民祭2019は2019年2月11日・12日に行われます。

【黒石寺蘇民祭2019 アクセス・マップ】
場所・・・岩手県奥州市水沢区黒石町字山内17

*JR東北本線・水沢駅からバス・タクシー
*JR東北新幹線・水沢江刺駅からタクシー
●臨時バス予定

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【黒石寺蘇民祭2019 概要】
黒石寺蘇民祭の蘇民袋争奪戦では将軍木(かつのき・ヌルデ)で作った長さ約3センチの六角柱の小間木(こまぎ)がぎっしりつまった蘇民袋が小刀で切り裂かれると厄災を免れるとも言われる小間木(蘇民将来護符)を下帯の姿の若者が奪い合います。また蘇民袋争奪戦では空になった蘇民袋も奪い合い、最後に蘇民袋の首に部分を握っていた者が取主(とりぬし)となります。

●黒石寺蘇民祭2018 日程・スケジュール(要確認)
タイムスケージュールは昨年のものです。(要確認)
2月22日
22:00~・・・夏参り(裸参り・祈願祭)
23:30~・・・柴燈木登り(ひたきのぼり)

2月23日
2:00~・・・別当登り(べっとうのぼり)
4:00~・・・鬼子登り(おにごのぼり)
5:00(鬼子登り終了後)~・・・蘇民袋争奪戦

*参考・・・黒石寺蘇民祭2018日程

【黒石寺蘇民祭 歴史・簡単概要】
黒石寺蘇民祭(そみんさい)は平安時代中期に蘇民信仰に基づいて始り、1200年以上の歴史があるとも言われています。蘇民信仰は「備後国風土記」に「北海の武塔神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。そこに蘇民将来と巨旦将来という兄弟が住んでいた。兄の蘇民(そみん)将来は大変貧しく、弟の巨旦(こたん)将来は裕福で家や倉を百余りも持っていた。武塔神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。兄は粟の飯でもてなした。後に武塔神は八人の王子と帰る途中、兄の蘇民将来の所に寄り「かっての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと、「妻と娘がいる」と答えた。 すると「茅の輪(ちのわ)」を腰に着けるよう命じた。その夜、神は蘇民と妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。そして「私は須佐之男命(すさのおのみこと)なり、後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を逃れるであろう」と記されています。ちなみに武塔神・須佐之男命・牛頭天王(ごずてんのう)・薬師如来は同一神仏とされています。なお黒石寺蘇民祭は日本三大奇祭・日本三大裸祭りに数えられています。また岩手の蘇民祭として、国の選択無形民俗文化財に指定されています。
*参考・・・黒石寺蘇民祭黒石寺蘇民祭wikipedia

【黒石寺 歴史・簡単概要】
黒石寺蘇民祭を行う黒石寺(こくせきじ)は729年(天平元年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が開山し、

    東光山薬師寺と称したのが起源と言われています。延暦年間(782年~806年)に蝦夷征伐の兵火によって焼失し、807年(大同2年)に飛騨(岐阜)の工匠が薬師堂を再建し、849年(嘉祥2年)には第3代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が再興し、名称を妙見山黒石寺改めました。黒石寺は修験(山伏)の寺・胆沢城(いさわじょう)の鎮守である石手堰神社(いわていじんじゃ)の別当寺として、盛時に48の堂宇があったが、1261年(弘長元年)の野火・1590年(天正18年)の兵火・1840年(天保11年)の祭火・1881年(明治24年)の火災により、一切の伽藍を焼失し、1884年(明治17年)に現在の本堂・庫裏が再建されました。なお黒石寺は本尊・薬師如来坐像を安置しています。
    *参考・・・黒石寺・黒石寺蘇民祭黒石寺・黒石寺蘇民祭wikipedia

    【黒石寺蘇民祭2019 備考】
    *イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。

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