曽根天満宮(梅見ごろ2月中旬~)兵庫梅名所

曽根天満宮

曽根天満宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。曽根天満宮は兵庫の梅名所です。曽根天満宮の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。曽根天満宮には約40種・約200本の梅の木が植えられています。なお曽根天満宮では901年(延喜元年)に菅原道真が小松を山上に手植えし、霊松・曽根の松と言われています。

【曽根天満宮 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県高砂市曽根町2286-1

【曽根天満宮 アクセス・交通】
*山陽曽根駅(徒歩約5分)
*JR曽根駅(徒歩約30分)

【曽根天満宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【曽根天満宮 時間(要確認)】
自由

【曽根天満宮 料金(要確認)】
無料

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【曽根天満宮 歴史・簡単概要】
曽根天満宮(そねてんまんぐう)は兵庫県高砂市曽根町にあります。曽根天満宮は平安時代前期に菅原道真(すがわらのみちざね)の四男・菅原淳茂(すがわらのあつしげ)が創建したと言われています。901年(延喜元年)に菅原道真が左大臣(さだいじん)・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)によって筑紫・太宰府(だざいふ)に左遷された際、伊保港から上陸して曽根天満宮西方に位置する日笠山に登り、「我に罪無くば栄えよ」と祈って小松を山上に手植えし、その小松が霊松(れいしょう)・曽根の松とされています。その後菅原淳茂が家臣13人ととともにこの地を訪れ、父・菅原道真ゆかりの場所に社殿を建立したと言われています。戦国時代(室町時代後期)の1578年(天正6年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による播州征伐の際、社殿が兵火で焼失したが、1590年(天正18年)に寺沢越中守を奉行として本殿が再建され、社領10石が寄進されました。江戸時代初期の1609年(慶長14年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の娘で、姫路城主・池田輝政(いけだてるまさ)の側室・督姫の寄進によって拝殿が建立され、1648年(慶安元年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が朱印領30石を寄進し、その後歴代将軍もこれに倣いました。江戸時代後期の1798年(寛政10年)に菅原道真手植えの霊松・曽根の松が枯れたと言われています。天明年間(1781年~1789年)に菅原道真手植えの松から実生した2代目の松は1924年(大正13年)に国の天然記念物に指定されたが、1952年(昭和27年)に枯死しました。現在は5代目の松が植えられています。曽根天満宮には約40種・約200本の梅の木が植えられています。
高砂市(たかさごし)は兵庫県南部(播磨南東部)に位置しています。高砂市は姫路市・加古川市に接しています。高砂市は姫路市と加古川市の間にあります。高砂市は兵庫県丹波市の北西にある標高約962メートルの粟鹿山(あわがやま)を源とする一級河川・加古川(かこがわ)河口に形成された三角州・沖積平野に位置し、北西部に播磨アルプスとも言われる高御位山(たかみくらやま)などの山々がそびえ、南側を瀬戸内海の播磨灘(はりまなだ)に面しています。高砂市にはかつて謡曲「高砂」に謡われた白砂青松の浜辺があったが、開発によって失われました。高砂市は瀬戸内海式気候で、年間を通して比較的温暖です。高砂市は降水量が少なく、竿池・阿弥陀新池やため池たくさんあります。高砂市には縄文時代の貝塚遺跡・日笠山貝塚があり、古くから人が住んでいたとも言われています。高砂市は戦国時代末期に中心市街地の高砂が池田輝政(いけだてるまさ)の城下町になり、江戸時代に加古川流域を後背地とした姫路藩の年貢米の集散地・港町として繁栄しました。高砂市では明治時代に姫路藩の米蔵 (百間蔵) 跡に製紙工場が立地すると工業化が進み、戦後大規模な埋め立てによって重化学工業都市に発展し、播磨工業地域東部の拠点都市になりました。
*参考・・・曽根天満宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【曽根天満宮 見どころ・文化財】
曽根天満宮の見どころは曽根天満宮の梅です。曽根天満宮の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【曽根天満宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・079-447-0645(曽根天満宮)

【曽根天満宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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