相馬野馬追7/28~30(日程・時間・・・)

相馬野馬追

相馬野馬追

相馬野馬追2018は2018年7月28日~30日に行われます。相馬野馬追2018の神旗争奪戦では山上の本陣から陣螺が鳴ると数百の騎馬武者が雲雀ヶ原祭場地に広がり、花火が打ち上げられると花火の中からゆっくりと舞い下りてくる2本の御神旗を鞭を振りかざして合戦さながらに奪い合います。20発の花火が打ち上げられ、40本の御神旗を奪い合います。

【相馬野馬追2018 日程・時間(要確認)】
相馬野馬追2018は2018年(平成30年)7月28日(金曜日)~30日(月曜日)に行われます。

【相馬野馬追2018 アクセス・マップ】
場所・・・福島県相馬市・南相馬市

*JR相馬駅・JR常磐太田駅・JR小高駅

【相馬野馬追2018 概要】
相馬野馬追2018の神旗争奪戦では山上の本陣から陣螺(じんがい・じんら)が鳴ると甲冑を身にまとった数百の騎馬武者が雲雀ヶ原祭場地に広がり、花火が打ち上げられると花火の中からゆっくりと舞い下りてくる2本の御神旗を鞭を振りかざして合戦さながらに奪い合います。神旗争奪戦では20発の花火が打ち上げられ、40本の御神旗を奪い合います。
宵乗り競馬では白鉢巻・野袴・陣羽織姿の騎馬武者が古式馬具をつけ、荒々しく馬場を疾走します。宵乗り競馬は1周1メートルです。
お行列では中の郷勢(相馬太田神社)を先頭に小高郷・標葉郷勢(相馬小高神社)・総大将がいる宇多郷・北郷勢(相馬中村神社)の甲冑・太刀姿の騎馬武者が先祖伝来の旗指をなびかせて雲雀ヶ原の相馬野馬追祭場地まで約3キロを行軍します。
甲冑競馬は兜を脱ぎ、白鉢巻姿の若武者が先祖伝来の旗差物を風をなびかせて疾走します。甲冑競馬は1周1メートルで、10頭立てで10回行われます。
野馬懸は白鉢巻・白装束姿の御小人が荒れ狂う馬を素手で捕らえ、相馬小高神社の神前に奉納します。

●相馬野馬追2018 日程・スケジュール(要確認)
7月28日 出陣・宵乗り
9:30~・・・出陣式(相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社)
12:00・・・総大将御迎(南相馬市鹿島区)
14:00・・・宵乗り競馬(南相馬市原町区雲雀ヶ原祭場地)
17:30・・・軍者会(南相馬市原町区旭公園)

7月29日 本祭り
9:30~11:00・・・お行列(南相馬市原町区~雲雀ヶ原祭場地)
12:00~・・甲冑競馬(雲雀ヶ原祭場地)
13:00~・・神旗争奪戦(雲雀ヶ原祭場地)

7月30日 野馬懸
9:00~・・・野馬懸(南相馬市小高区)

*参考・・・相馬野馬追2018日程

【相馬野馬追 歴史・簡単概要】
相馬野馬追(そうまのまおい)は相馬三妙見と言われる相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の祭礼です。相馬野馬追は「相家故事秘要集」によると相馬氏の始祖・平将門が下総国葛飾郡小金ヶ原(しもうさのくにかつしかぐんこがねがはら・千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて野馬を捕らえる軍事訓練と捕らえた馬を神前に奉納したことが起源と言われています。その後鎌倉幕府が成立すると軍事訓練が取り締まられたことから神事として行われるようになったそうです。1323年(元亨3年)に相馬氏第6代当主・相馬重胤が奥州行方郡に国替えで移ってくると相馬で野馬追行事も代々引き継がれてきました。しかし1872年(明治5年)に野馬原の野馬が全て狩り獲られ、旧来の野馬追は消滅したが、1878年(明治11年)に相馬太田神社が中心となって内務省の許可を得たことから相馬三妙見による今日の相馬野馬追が行われるようになりました。なお相馬野馬追は1952年(昭和27年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
*参考・・・相馬野馬追相馬野馬追相馬野馬追wikipedia

【相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社 歴史・簡単概要】
相馬野馬追を行う相馬中村神社(そうまなかむらじんじゃ)・相馬太田神社(そうまおおたじんじゃ)・相馬小高神社(そうまおだかじんじゃ)は平安時代の承平年間(931年~937年)に相馬氏の始祖・平将門が下総国猿島郡に妙見社を創建して七戟勝を祈願し、国家安泰・国民諸業の繁栄を祈念したのが起源と言われています。平将門から12代に当たる相馬師常(そうまもろつね)は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に従って、奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦の功績により、奥州行方郡を賜って奥州相馬氏の初代になりました。1323年(元亨3年)に相馬氏第6代当主・相馬重胤(そうましげたね)が下総国守谷城から国替えになり、氏神・妙見尊を奉じて宮祠を造営しました。その宮祠が相馬太田神社と言われています。相馬氏は南北朝時代に小高城を築城し、牛越城・中村城に移転するまで約260年間に亘って居城としました。この小高城に造営されたのが相馬小高神社です。しかし相馬氏は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで改易され、1611年(慶長16年)に旧領に戻り、相馬氏第17代当主で、中村藩初代藩主・相馬利胤(そうまとしたね)が中村城内に相馬氏の守護社・妙見社を造営しました。その妙見社が相馬中村神社です。なお相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀っています。
*参考・・・相馬中村神社・相馬野馬追相馬中村神社・相馬野馬追wikipedia相馬太田神社・相馬野馬追wikipedia相馬小高神社・相馬野馬追

【相馬野馬追2018 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。

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