菅原天満宮(梅見ごろ)島根梅名所
菅原天満宮
菅原天満宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。菅原天満宮は島根の梅名所です。菅原天満宮の梅見ごろは確認中です。菅原天満宮には宮司宅の前庭に御神木・鼻繰梅が植えられています。菅原道真は幼少の頃に梅の核に孔を開け、糸を通して遊んでいたものが地に落ちて芽を出し、鼻繰梅に成長したものと伝えられています。
【菅原天満宮 アクセスマップ】
場所・・・島根県松江市宍道町上来待1834番地
【菅原天満宮 アクセス・交通】
*JR山陰本線来待駅から松江市コミュニティバス・来待線の場合、菅原バス停(徒歩約5分)
【菅原天満宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【菅原天満宮 時間(要確認)】
自由
【菅原天満宮 料金(要確認)】
無料
【菅原天満宮 歴史・簡単概要】
菅原天満宮(すがわらてんまんぐう)は島根県松江市宍道町上来待にあります。菅原天満宮は平安時代中期の951年(天歴5年)4月に社殿(御宮)が建立され、菅原天満大自在天神(すがわらてんまんだいじざいてんじん))と仰がれたのが起源と言われています。この地である出雲の山田村(菅原の里)は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の祖先・野見宿禰(のみのすくね)の墓がある場所で、菅原道真の父・菅原是善(すがわらのこれよし)が出雲の国庁に在任していた時にこの地を訪れ、その時に案内をした乙女を気に入って国庁に召しました。その後菅原是善は都に戻り、845年(承和12年)6月25日に懐妊していた乙女は菅原道真(鹿児丸君)を生んだとされ、菅原天満宮は菅原道真の誕生の地と伝えられています。その後江戸時代前期の1663年(寛文3年)6月23日に出雲国松江藩初代藩主・松平直政(まつだいらなおまさ)が篤く信仰し、東北地方の羅漢松(くさまき)と称する名木で新しく現在の本殿を建立しました。本殿の扉には狩野永雲(かのうえいうん)の筆による五彩の雲に金泥の双龍が描かれています。その後歴代藩主が社殿の建立や祭祀を行ってきたが、1872年(明治5年)以後は菅原地区の氏神として祀られるようになりました。菅原天満宮には宮司宅(社務所)の前庭に御神木・鼻繰梅(はなぐりうめ・鼻繰神梅)が植えられています。鼻繰梅の実の核には尖頭部に貫通する小孔があります。菅原道真は幼少の頃に梅の核に孔を開け、糸を通して遊んでいたものが地に落ちて芽を出し、鼻繰梅に成長したものと伝えられています。
松江市(まつえし)は島根県東部(出雲地方)に位置しています。松江市は島根県の県庁所在地で、山陰地方最大の人口を擁しています。松江市は島根県の雲南市・出雲市・安来市、鳥取県の境港市に接しています。松江市は島根県北東部にある島根半島に広がる松江平野に位置し、南側に中国山地があり、北部が日本海、東部が面積約85.6平方キロの中海(なかうみ)、西部が面積約79.2平方キロの宍道湖(しんじこ)に面し、宍道湖の東半分を取り囲んでいます。ちなみに中海と宍道湖は日本では数少ない連結汽水湖とされ、いずれもラムサール条約に登録されています。松江市は宍道湖と中海に囲まれた地域にあり、中心市街地を宍道湖と中海を結ぶ大橋川(おおはしがわ)が流れて二分し、水の都とも言われています。松江市は日本海側気候に属し、冬季には曇り・雨・雪の日が多くなります。松江市には田和山遺跡・古墳群などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。松江市は江戸時代前期の1611年(慶長16年)に出雲松江藩初代藩主・堀尾忠氏(ほりおただうじ)が松江城を末次城跡に築城するとその城下町として発展しました。松江市は江戸時代中期以降に親藩越前松平家・出雲国松江藩の城下町として盛え、江戸時代の代表的な茶人である松平不昧(まつだいらふまい・松平治郷(まつだいらはるさと))が出雲国松江藩7代藩主になりました。
*参考・・・菅原天満宮(アクセス・歴史・・・)
【菅原天満宮 見どころ・文化財】
菅原天満宮の見どころは菅原天満宮の梅です。菅原天満宮の梅見ごろは確認中です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【菅原天満宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0852-66-0038(菅原天満宮)
【菅原天満宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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