縮景園(梅見ごろ1月中旬~)広島梅名所

縮景園

縮景園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。縮景園は広島の梅名所です。縮景園の梅見ごろは例年1月中旬頃~3月上旬頃です。縮景園には早咲きの八重寒紅梅・しだれ梅など19種・約130本の梅の木が植えられています。縮景園では梅の見ごろには赤色・ピンク色・白色の色鮮やかな花が咲き、春の訪れを教えてくれます。

【縮景園 アクセスマップ】
場所・・・広島県広島市中区上幟町2-11

【縮景園 アクセス・交通】
*広島駅(徒歩約10分)
*広島電鉄白島線縮景園前駅(徒歩約2分)
*JR広島駅からひろしま観光ループバスひろしまめいぷる~ぷ・オレンジルートの場合、県立美術館前(縮景園前)(徒歩約2分)

*山陽道広島IC(車約30分)

【縮景園 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【縮景園 時間(要確認)】
9:00~18:00 受付17;30終了(4月1日~9月30日)
9:00~17:00 受付16;30終了(10月1日~3月31日)

【縮景園 料金(要確認)】
一般260円、高校生・大学生150円、小学生・中学生100円

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【縮景園 歴史・簡単概要】
縮景園(しゅっけいえん)は広島県広島市中区上幟町にあります。縮景園は江戸時代初頭前期の1620年(元和6年)に安芸国広島藩初代藩主で、浅野家16代当主・浅野長晟(あさのながあきら)が茶人で、家老・上田宗箇(うえだそうこ・上田重安(うえだしげやす))を作庭者として作庭させた別邸の大名庭園が起源です。縮景園は古くは「お泉水(せんすい)」・「泉邸(せんてい)」とも言われていたが、朱子学派儒学者で、林家の祖・林羅山(はやしらざん)が安芸国広島藩第2代藩主で、浅野家17代当主・浅野光晟(あさのみつあきら)の求めに応じて作った詩の序文「縮海山于其地 聚風景於此楼(海山をその地に縮め風景をこの楼に聚む)」から「縮景園」と名付けられました。その後歴代藩主に愛されたが、江戸時代中期の1758年(宝暦8年)に宝暦の大火で建物や樹木の多くが焼失し、1783年(天明3年)から京都の庭師・清水七郎右衛門(しみずしちろうえもん)による天明の大改修が行われました。1940年(昭和15年)に浅野家から広島県に寄贈され、同年7月12日に国の名勝に指定されたが、1945年(昭和20年)に広島に投下された原子爆弾によって壊滅的な被害を受けました。1949年(昭和24年)から復旧が開始され、1951年(昭和26年)に復旧途中だったが、再開園され、1970年代に復旧がほぼ完了しました。縮景園には早咲きの八重寒紅梅(やえかんこうばい)・しだれ梅など19種・約130本の梅の木が植えられています。縮景園では梅の見ごろには赤色・ピンク色・白色の色鮮やかな花が咲き、春の訪れを教えてくれます。縮景園では梅の見ごろに梅見茶会が行われています。(要確認)
広島市(ひろしまし)は広島県南西部に位置しています。広島市は広島県の県庁所在地で、政令指定都市です。ちなみに広島市は中国・四国地方で最も人口が多い都市で、中国地方の中心都市です。広島市の名称は豊臣政権の五大老で、長州藩の藩祖・毛利輝元(もうりてるもと)が命名しました。広島市は中区・東区・南区・西区・安佐南区・安佐北区・安芸区・佐伯区の7区からなり、呉市・東広島市・安芸高田市・廿日市市・熊野町・海田町・府中町・坂町・北広島町・安芸太田町、海を隔てて江田島市に接しています。広島市は南側を瀬戸内海の広島湾に面し、北側には中国山地が広がっています。広島市は山地や丘陵地が約70%を占め、中心市街地は太田川水系の本流で一級河川・太田川(おおたがわ)とその分流で形成されたデルタ上にあります。広島市は1589年(天正17年)に毛利輝元が広島城を築城し、江戸時代に福島氏・浅野氏の城下町として発展しました。広島市は1945年(昭和20年)8月6日に史上初の原子爆弾が投下され、多数の一般市民が亡くなりました。1945年(昭和20年)末までには約14万人が亡くなったと言われています。
*参考・・・縮景園(アクセス・歴史・・・)

【縮景園 見どころ・文化財】
縮景園の見どころは縮景園の梅です。縮景園の梅見ごろは例年1月中旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【縮景園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・082-221-3620(縮景園)

【縮景園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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