
大石寺
大石寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大石寺は静岡の桜名所です。大石寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。大石寺には面積約70ヘクタールの広大な境内にソメイヨシノ(染井吉野)・シダレザクラ(しだれ桜)など約5,000本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【大石寺 アクセスマップ】
場所・・・静岡県富士宮市上条2057
【大石寺 アクセス・交通】
*JR富士宮駅からバス・大石寺行きの場合、大石寺前バス停(徒歩すぐ)
*東名高速道路富士IC(車約30分)
【大石寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【大石寺 時間(要確認)】
9:00~17:00
土曜日・日曜日は入場不可
【大石寺 料金(要確認)】
–
【大石寺 歴史・簡単概要】
大石寺(たいせきじ)・多宝富士大日蓮華山(たほうふじだいにちれんげさん)大石寺は静岡県富士宮市上条にあります。大石寺は鎌倉時代後期の1290年(正応3年)10月12日に日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の法嫡(ほうちゃく)で、日蓮正宗第2祖である白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)・日興上人(にっこうしょうにん)が創建しました。日興上人は日昭(にっしょう)・日朗(にちろう)・日向(にこう)・日頂(にっちょう)・日持(にちじ)とともに日蓮六老僧(ろくろうそう)に数えられたが、日向にそそのかされた身延の地頭・波木井実長(はきいさねなが)と意見の相違から日蓮大聖人開山の身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)を離山し、上野の地頭・南条時光(なんじょうときみつ)の招請を受けて、富士山山麓の大石ヶ原(おおいしがはら)に移り住みました。大石寺の寺号は地名の大石ヶ原に由来しています。江戸時代前期の1632年(寛永9年)に第17世・日精が御影堂(静岡県有形文化財)を再建し、江戸時代中期の1717年(享保2年)に三門(静岡県有形文化財)が建立され、1749年(寛延2年)に五重塔(重要文化財)が建立され、江戸時代中期に主要な伽藍が整備されました。大石寺には面積約70ヘクタールの広大な境内にソメイヨシノ(染井吉野)・シダレザクラ(しだれ桜)など約5,000本の桜の木が植えられています。中央塔中のシダレザクラはよく知られています。
富士宮市(ふじのみやし)は静岡県東部に位置しています。富士宮市の名所は富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の門前町に由来しています。富士宮市は静岡県の静岡市・富士市・御殿場市・小山町、山梨県の富士吉田市・南部町・身延町・富士河口湖町、鳴沢村に接しています。富士宮市は日本最高峰である標高約3776.24メートルの霊峰・富士山(ふじさん)の南西麓に位置し、市域の中央を北から南に潤井川(うるいがわ)・芝川(しばかわ)が貫流しています。富士宮市は市域の標高差が3,741メートルあり、日本一標高差のある自治体です。富士宮市では紀元前27年(垂仁天皇3年)に富士山本宮浅間大社が創建されたとも言われ、その鳥居前町として発展しました。富士宮市は富士氏の発祥・根拠地で、富士氏は富士山本宮浅間大社の大宮司を務めました。富士宮市は戦国時代に六斎市(ろくさいいち)が立つ市場町、また駿河から甲州に通じる交通の要地として塩・魚などの集散地になりました。富士宮市は江戸時代に和紙・製糸の町として発達し、明治時代中期に洋紙製造が始まりました。富士宮市は大正時代に絹糸紡績工場、近年に化学工業・医薬医療機器などの工場も立地しました。富士宮市では富士山裾野の広大な原野で酪農も行われています。
*参考・・・大石寺(アクセス・歴史・・・)
【大石寺 見どころ・文化財】
大石寺の見どころは大石寺の桜です。大石寺の桜見ごろは例年4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【大石寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0544-22-1155(富士宮市観光課)
【大石寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●静岡桜名所・静岡桜見ごろ

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