高家神社(桜見ごろ・アクセス・・・)・千葉桜名所

高家神社

高家神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。高家神社は千葉の桜名所です。高家神社の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。高家神社には面積約346坪の境内にヤエザクラ(八重桜)・ソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・カワヅザクラ(河津桜)など約70本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)三十段の石段を昇り振り返ると、南房総市千倉町の町並みと雄大な太平洋が望めます。

【高家神社 アクセスマップ】
場所・・・千葉県南房総市千倉町南朝夷62

【高家神社 アクセス・交通】
*JR千倉駅(徒歩約30分)

【高家神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【高家神社 時間(要確認)】

【高家神社 料金(要確認)】


【高家神社 歴史・簡単概要】
高家神社(たかべじんじゃ)は千葉県南房総市千倉町南朝夷にあります。高家神社は起源が明確ではありません。高家神社は料理の祖神である祭神・磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと・高倍神(たかべのかみ))の子孫・高橋氏の一部が祖神にゆかりのある安房国に移り住み、氏神として祖神を祀ったのが起源とも言われています。高家神社は「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「安房国朝夷郡 高家神社」と記され、それ以前から祀られていたとも言われています。高家神社は安房国朝夷郡に鎮座する式内社四座の一社です。その後衰退・廃絶したとも言われています。江戸時代初期の1620年(元和6年)に高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の鏡を発見し、それをご神体として天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を主祭神とする神明社(しんめいしゃ)を建立しました。約200年後に鏡に「御食津神(みけつかみ) 磐鹿六雁命」と書かれていることが分かり、江戸時代後期の1819年(文政2年)に京都・吉田御所に届け出て証(あかし)を願い、社号を神明社から高家神社に改称しました。高家神社は磐鹿六雁命・天照皇大神・稲荷大神(いなりおおかみ)を祀り、日本唯一の料理の神様を祀る神社とも言われています。ちなみに高家神社では一切手を触れることなく、包丁と箸のみで調理する庖丁式(ほうちょうしき)が行われています。高家神社には面積約346坪の境内にヤエザクラ(八重桜)・ソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・カワヅザクラ(河津桜)など約70本の桜の木が植えられています。
南房総市(みなみぼうそうし)は千葉県南部(安房地方西部)に位置しています。南房総市の名称は房総半島(ぼうそうはんとう)南部を指す南房総に由来しています。南房総市は館山市・鴨川市・鋸南町に接しています。南房総市は太平洋に突き出した房総半島最南端に位置し、北側に愛宕山・富山などの山々が連なり、東側・南側を太平洋に面し、西側を浦賀水道に面しています。南房総市では直下に鴨川低地断層帯があります。南房総市は奈良時代に上総国から分かれた安房国国府が府中に置かれたとも言われています。南房総市は室町時代に里見氏の領地になり、江戸時代初期の1614年(慶長19年)に里見氏が改易されると旗本領・天領などに分割統治されました。ちなみに南房総市には安房里見家の姫・伏姫(ふせひめ)と神犬・八房(やつふさ)の因縁によって結ばれた八犬士(はっけんし)を主人公とする江戸時代後期の読本作者・滝沢馬琴(たきざわばきん)の「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」の舞台となった滝田城址があります。南房総市は温暖な気候を利用したミカン・ビワ・花卉の栽培や稲作が盛んです。
*参考・・・高家神社(アクセス・歴史・・・)高家神社(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【高家神社 見どころ・文化財】
高家神社の見どころは高家神社の桜です。高家神社の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)ちなみに標準木が5~6輪以上咲くと開花宣言が出されます。また地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。なお桜は夏に花芽がつくられ、その後休眠ホルモンによって一旦休眠状態になり、冬の一定期間の厳しい寒さによって休眠打破が起こり、春の気温の上昇によって開花します。

【高家神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0470-44-5625(高家神社)

【高家神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2017年(平成29年)4月
千葉桜名所・千葉桜見ごろ

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