高遠城址公園(桜見ごろ4月上旬頃~)日本さくら名所100選

高遠城址公園
高遠城址公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。高遠城址公園は日本さくら名所100選に選ばれた桜名所です。高遠城址公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。高遠城址公園では桜が見ごろを迎える時期に高遠城址公園さくら祭り(高遠さくら祭り)が行われ、約350のぼんぼりが灯されたり、露店が出店されたりします。(要確認)
【高遠城址公園 アクセスマップ】
場所・・・長野県伊那市高遠町
【高遠城址公園 アクセス・交通】
*JR伊那市駅からバスの場合、高遠駅バス停(徒歩約15分)
*中央自動車道伊那IC(車約30分)
【高遠城址公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【高遠城址公園 時間(要確認)】
観桜期8:00~17:00
【高遠城址公園 料金(要確認)】
観桜期500円
【高遠城址公園 歴史・簡単概要】
高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)は長野県伊那市高遠町にあります。高遠城址公園は高遠城址を中心に整備された公園です。高遠城は月誉山西麓の丘陵に築城された平山城(ひらやまじろ)で、戦国時代に諏訪氏(すわし)の一門である高遠氏(たかとおし)の居城でした。1545年(天文14年)に高遠城城主・高遠頼継(たかとおよりつぐ)が甲斐守護で、甲斐武田家第19代当主・武田信玄(たけだしんげん)によって滅ぼされ、翌々1547年(天文16年)に譜代家老・秋山虎繁(あきやまとらしげ)や足軽大将・山本勘助(やまもとかんすけ)らによって大規模に改築され、1556年(弘治2年)に秋山虎繁が城主になりました。その後信玄の四男・武田勝頼(たけだかつより)、信玄の同母弟・武田信廉(たけだのぶかど)、信玄の五男・仁科盛信(にしなもりのぶ・武田晴清)が城主になったが、1582年(天正10年)の織田信長による武田攻め(甲州征伐)によって盛信が戦死して落城しました。江戸時代に高遠藩の藩庁が置かれ、京極氏・保科氏・鳥居氏が藩主になって入城し、1691年(元禄4年)に信濃高遠藩初代藩主・内藤清枚(ないとうきよかず)が入城し、明治まで内藤氏が城主を務めました。1871年(明治4年)に高遠城が取り壊され、1875年(明治8年)に公園になり、1876年(明治9年)に高遠藩の旧藩士が桜の馬場から桜が移植され、1936年(昭和11年)には高遠閣(国の登録有形文化財)が完成されました。高遠城址公園には高遠閣以外にも問屋門・太鼓櫓・新城藤原神社(しんじょうふじわらじんじゃ)などがあります。また高遠城址公園にはタカトオコヒガンザクラ(高遠小彼岸桜)など約1,500本余りの桜の木が植えられています。タカトオコヒガンザクラは天下第一の桜とも称され、樹林は長野県の天然記念物に指定されています。なお高遠城址公園は日本の歴史公園100選に選ばれています。高遠城は国の史跡に指定され、日本100名城(30番)に選定されています。
*参考・・・高遠城址公園(アクセス・歴史・・・)
【高遠城址公園 見どころ・文化財】
高遠城址公園の見どころは高遠城址公園の桜です。高遠城址公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【高遠城址公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0265-78-4111(伊那市観光協会)
【高遠城址公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●日本さくら名所100選