竹田寺町通り(紅葉見ごろ11月上旬頃~)兵庫紅葉名所

竹田寺町通り

竹田寺町通り

竹田寺町通り(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。竹田寺町通りは兵庫の紅葉名所です。竹田寺町通りの紅葉見ごろは例年11月上旬頃~11月下旬頃です。竹田寺町通りは長さ約600メートルの区間に法樹寺・勝賢寺・常光寺・善證寺・表米神社が立ち並び、流れる小川に江戸時代の古い石橋が架けられたり、錦鯉が優雅に泳いだりしています。

【竹田寺町通り アクセスマップ】
場所・・・兵庫県朝来市和田山町竹田

【竹田寺町通り アクセス・交通】
*JR播但線竹田駅(徒歩約3分)

*播但自動車道和田山IC(車約10分)

【竹田寺町通り アクセス・駐車場】
駐車場あり

【竹田寺町通り 時間(要確認)】
自由

【竹田寺町通り 料金(要確認)】
無料

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【竹田寺町通り 歴史・簡単概要】
竹田寺町通り(たけだてらまちどおり)は兵庫県朝来市和田山町竹田にあります。竹田寺町通りは竹田城跡(たけだじょうせき)がある標高約354メートルの古城山(こじょうざん・虎臥山(とらふすやま))山麓にあります。竹田寺町通りには長さ約600メートルの区間に法樹寺(ほうじゅじ)・勝賢寺(しょうけんじ)・常光寺(じょうこうじ)・善證寺(ぜんしょうじ)の4カ寺と表米神社(ひょうまいじんじゃ)が立ち並んでいます。法樹寺は安土桃山時代の1578年(天正6年)に見蓮社勝誉上人が創建し、江戸時代初期の1606年(慶長11年)に生野代官・中野吉兵衛の許可により、竹田城最後の城主・赤松広秀(あかまつひろひで)屋敷跡に移り、赤松広秀の菩提寺になっています。勝賢寺は赤松広秀の前の城主・桑山修理太夫重晴(くわやましゅりだいふしげはる)ゆかりの寺院です。常光寺は竹田城初代城主・太田垣光景(おおたがきみつかげ)の菩提寺で、戦国時代に第106代・正親町天皇の勅願寺になりました。善證寺は14世紀に創建され、江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)に現在の場所に移りました。表米神社は起源が明確ではないが、宝永年間(1704年~1711年)に現在の場所に移ったと言われています。竹田寺町通りには周辺にサクラ・カエデ・モミジなどが分布しています。竹田寺町通り近くには約3,000株の花しょうぶなどが植えられている虎臥城公園などもあります。なお竹田寺町通り周辺には「日本のマチュピチュ」・「天空の城」とも言われる竹田城跡や竹田城跡を真正面に望む立雲峡もあります。
竹田城跡は室町時代中期の1443年(嘉吉3年)頃に室町幕府の侍所頭人(さむらいどころとうにん)で、但馬守護・山名宗全(やまなそうぜん))が配下の太田垣氏に命じて標高約354メートルの古城山(こじょうざん)山頂に築城させたのが始まりとも言われています。また竹田城は「和田上道氏日記(わだかんだちしにっき)・江戸時代末期」によると嘉吉年間(1441年~1443年)に安井ノ城が築城されたのが始まりとも言われています。その後太田垣氏が7代に渡って城主を務めたが、安土桃山時代の1580年(天正8年)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による但馬攻めによって竹田城は落城し、太田垣氏も没落したと言われています。1585年(天正13年)に赤松広秀(あかまつひろひで)が入城し、石垣などが整備したと言われています。赤松広秀は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍(豊臣方)に加わったが、西軍が敗れると竹田城に撤退し、その後東軍(徳川方)による鳥取城を攻めに加わったが、城下町に放火したとの罪で江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)によって自刃させられ、その後竹田城も廃城になりました。なお竹田城跡は1943年(昭和18年)9月8日に国の史跡に指定されました。
*参考・・・竹田寺町通り(アクセス・歴史・・・)

【竹田寺町通り 見どころ・文化財】
竹田寺町通りの見どころは竹田寺町通りの紅葉です。竹田寺町通りの紅葉は例年11月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにサクラ・カエデ・モミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【竹田寺町通り 連絡先(要確認)】
電話番号・・・079-674-2120(情報館天空の城)

【竹田寺町通り 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
兵庫紅葉名所・兵庫紅葉見ごろ

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