達谷窟毘沙門堂(紅葉見ごろ10月中旬頃~)岩手紅葉名所
達谷窟毘沙門堂
達谷窟毘沙門堂(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。達谷窟毘沙門堂は岩手の紅葉名所です。達谷窟毘沙門堂の紅葉見ごろは例年10月中旬頃~11月中旬頃です。達谷窟毘沙門堂では10月11日(旧暦9月3日)に秋季大祭が行われ、法要後に神楽が奉納されます。(要確認)なお達谷窟毘沙門堂は1,200年以上の歴史があり、国の史跡に指定されています。
【達谷窟毘沙門堂 アクセスマップ】
場所・・・岩手県西磐井郡平泉町平泉字北沢16
【達谷窟毘沙門堂 アクセス・交通】
*JR平泉駅(車約10分)
*東北自動車道一関IC(車約10分)
【達谷窟毘沙門堂 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【達谷窟毘沙門堂 時間(要確認)】
8:00~17:00(4月1日~11月23日)
8:00~16:30(11月24日~3月31日)
年中無休
【達谷窟毘沙門堂 料金(要確認)】
個人
大人300円、高校生・中学生100円
団体(30名以上)
大人270円、高校生・中学生90円
【達谷窟毘沙門堂 歴史・簡単概要】
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は岩手県西磐井郡平泉町平泉にあります。達谷窟毘沙門堂は平安時代前期の801年(延暦20年)に蝦夷(えみし・えぞ)を征討する征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷の首長・悪路王(あくろおう)を討伐した記念として建てたとも言われています。坂上田村麻呂は戦勝が毘沙門天のご加護と感じ、そのお礼に京都・清水寺の清水の舞台(本堂)模ねて九間四面の精舎を建立して108躰の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として窟毘沙門堂と名付け、第50代・桓武天皇御願の御寺としたとも言われています。鎌倉時代初期に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州合戦の際、鎌倉への帰路に参拝したとも言われています。室町時代の1490年(延徳2年)に火災によって焼失し、その直後に再建されたが、安土桃山時代の天正年間(1573年~1593年)の兵火によって焼失し、江戸時代前期の1615年(慶長20年)に仙台藩初代藩主で、伊達氏第17代当主・伊達政宗(だてまさむね)はが再建しました。その後1946年(昭和21年)の近隣火災によって類焼し、1961年(昭和36年)に再建され、2005年(平成17年)に国の史跡に指定されました。達谷窟毘沙門堂は巨大な岩壁に寄り添うように朱塗りの毘沙門堂が建立され、モミジ・イチョウなどが分布しています。
達谷西光寺は達谷窟毘沙門堂の別當(べっとう)です。達谷西光寺は平安時代前期の801年(延暦20年)に達谷窟毘沙門堂(窟毘沙門堂)が創建されると翌802年(延暦21年)に奥真上人(おうしんしょうにん)が創建されたとも言われています。達谷西光寺は達谷窟毘沙門堂を根本道場とし、神事などを守り伝えてきました。ちなみにかつて別當には広しょう院正念坊(こうしょういんしょうねんぼう)を筆頭に樺澤坊(かばさぼう)・下田坊(しもだぼう)という天台宗の3寺院と奉行坊(ぶぎょうぼう)を筆頭に教覚院(きょうがくいん)・龍学坊(りゅうがくぼう)・無量寿院(むりょうじゅいん)という羽黒派修験(はぐろはしゅげん)の諸坊があり、広しょう院衆徒と称していたが、度重なる戦乱によって江戸時代には正念坊と教覚院だけが残りました。その後明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈(はいぶつきしゃく))により、教覚院が雲南神社(うんなんじんじゃ)に改められて分離しました。
*参考・・・達谷窟毘沙門堂(アクセス・歴史・・・)
【達谷窟毘沙門堂 見どころ・文化財】
達谷窟毘沙門堂の見どころは達谷窟毘沙門堂の紅葉です。達谷窟毘沙門堂の紅葉は例年9月下旬頃~10月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年10月中旬頃~11月中旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・イチョウなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【達谷窟毘沙門堂 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0191-46-4931(達谷西光寺)
【達谷窟毘沙門堂 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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