筥崎宮玉せせり1/3(日程・時間・・・)
玉せせり2019は2019年1月3日に行われます。玉せせりでは玉洗い式で祓い清められた陰陽2つの木玉は玉取恵比須神社に運ばれ、神事終了後に陽の玉が締め込み姿の競り子に手渡されると勢い水を浴びながら悪事災難を逃れて幸運を授かるとも言われる陽の玉を本宮に向かいながら「オイサ、オイサ」の掛け声ともに激しく奪い合います。
【玉せせり2019 日程・時間(要確認)】
玉せせり2019は2019年1月3日に行われます。
【玉せせり2019・筥崎宮 アクセス・マップ】
場所・・・福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
*市営地下鉄・筥崎宮前駅
*JR鹿児島本線・箱崎駅
【玉せせり2019 概要】
玉せせりでは玉洗い式で祓い清められた陰陽2つの木玉は末社・玉取恵比須神社(たまとりえびすじんじゃ)に運ばれ、神事終了後に陽の玉が締め込み姿の競り子に手渡されると勢い水を浴びながら悪事災難を逃れて幸運を授かるとも言われる陽の玉を約250メートル先にある本宮に向かいながら「オイサ、オイサ」の掛け声ともに激しく奪い合います。最後に玉を奪った競り子が楼門の神職に手渡しすると神事が終了し、玉を納めた競り子がその年一番の幸運者とされ、その競子の地区が恵比須信仰による吉運に恵まれるとも言われています。
陽玉は直径約28センチ・重さ約8キロ、陰玉は直径約30センチ・重さ約11キロです。
●玉せせり2019 日程・スケジュール(要確認)
1月3日
13:00~14:30
*参考・・・玉せせり2019日程
【玉せせり 歴史・簡単概要】
玉せせり(たませせり)・玉取祭(たまとりさい)は起源が明確ではありません。玉せせりは約500年前の室町時代に始まったとも言われています。玉せせりは古くから盛大かつ厳重に行われていたそうです。ちなみに玉の由来も明確ではないそうです。玉は第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后による三韓征伐の際に龍神の捧げた満珠干珠の玉にあやかったとも、1494年(明応3年)正月に博多上須崎の原田某が筥崎宮に詣でた際にお潮井浜でキラキラ輝き海上に浮き来る2つの玉を拾ったとも言われています。また天正年間(1573年~1591年)に肥前呼子の商人が博多の海上で拾って、その内の1つを筥崎宮に奉納したが、夜に光を放って鳴動するなど度々不思議なことがあったことからもう1つも筥崎宮に納めたとも言われています。ちなみに玉せせりでの陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は1年の吉凶を占う年占いの意味合いもあり、陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁とも言われています。なお玉せせりは九州三大祭に数えられています。
*参考・・・玉せせり・玉せせり
【筥崎宮 歴史・簡単概要】
玉せせりが行われる筥崎宮(はこざきぐう)・箱崎宮は古録によると921年(延喜21年)に第60代・醍醐天皇が神勅により、敵国降伏(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を賜って社殿を建立し、923年(延長元年)に筑前穂波郡に創建されていた大分八幡宮(だいぶはちまんぐう(大分宮・穂波宮))を移したとも言われています。「延喜式神名帳(927年(延長5年))」には八幡大菩薩筥崎宮一座と記載され、名神大社に列しました。その後鎌倉時代中期の元寇の際、亀山上皇(第90代・亀山天皇)が敵国降伏を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられ、厄除・勝運の神として信仰されるようになりました。室町幕府初代将軍・足利尊氏や関白・豊臣秀吉など名だたる武将が参詣し、八幡大神の神徳を仰いだと言われています。なお筥崎宮は応神天皇・神功皇后(じんぐうこうごう)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っています。ちなみに筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、大分・宇佐神宮(宇佐八幡)と京都・石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮とも言われています。
*参考・・・筥崎宮・玉せせり・筥崎宮・玉せせり
【玉せせり2019 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。