館山公園(桜見ごろ4月中旬頃~)宮城桜名所

館山公園

館山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。館山公園は宮城の桜名所です。館山公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~5月上旬頃です。館山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヒガンザクラ(彼岸桜)など30種・約500本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)栗駒山などを一望することができます。

【館山公園 アクセスマップ】
場所・・・宮城県栗原市栗駒岩ケ崎裏山93-1

【館山公園 アクセス・交通】
*JR石越駅から市民バスくりはら田園線の場合、栗駒バス停(徒歩約15分)
*JR東北新幹線くりこま高原駅(車約40分)

*東北道若柳金成IC(車約15分)

【館山公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【館山公園 時間(要確認)】
自由

【館山公園 料金(要確認)】
無料

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【館山公園 歴史・簡単概要】
館山公園(たてやまこうえん)は宮城県栗原市栗駒岩ケ崎裏山にあります。館山公園は鶴丸城址に整備された公園です。鶴丸城は南北朝時代に葛西氏一族・富沢河内守道祐が築城したと言われています。鶴丸城は南北約400メートル・東西約650メートルで、最高部の本郭・二の郭・三の郭・蛭子館があったと言われています。その後桃山時代の1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉による奥州仕置により、葛西氏が滅亡し、富沢氏はこの地を去って南部氏に臣従しました。翌1591年(天正19年)の九戸政実(くのへまさざね)の乱に関白・豊臣秀次の陣所になり、その後伊達氏の属城になり、伊達政宗の重臣・鬼庭氏(茂庭氏)が城主になりました。城主が早逝すると石母田氏・田村氏・古内氏・茂庭氏と城主を変え、江戸時代中期の1694年(元禄7年)に中村氏が藤沢から転封し、明治維新まで城主を務めたが、その後廃城になりました。館山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヒガンザクラ(彼岸桜)など30種・約500本の桜の木が植えられています。桜は1974年(昭和49年)に宮城県栗駒日本花の会が少しずつ植栽したそうです。館山公園からは城下町である岩ヶ崎地区の全景や宮城県・秋田県・岩手県にまたがる標高約1,626メートルの栗駒山などを一望することができます。
栗原市(くりはらし)は宮城県北西部に位置しています。栗原市は宮城県の大崎市・登米市、秋田県の湯沢市・東成瀬村、岩手県の一関市に接しています。栗原市は横手盆地(よこてぼんち)の北部である仙北平野(せんぽくへいや)中部から栗駒山(くりこまやま)南東麓に掛けて広がり、北西部に標高約1,626メートルの活火山・栗駒山などの奥羽山脈(おううさんみゃく)の山々が連なり、栗駒山を源とする北上川水系の旧北上川の支流で一級河川・迫川(一迫川)やその支流である二迫川(にはさまがわ)・三迫川(さんはさまがわ)などが流れています。ちなみに南東部の最大深度約1.4メートルの伊豆沼・内沼一帯の湿地はオオハクチョウ・マガンなどが飛来する国の天然記念物で、ラムサール条約の登録地となっています。栗原市は築館・高清水・金成・岩ヶ崎が古くから奥州街道(おうしゅうかいどう)の宿場町として発展し、旧宿場町では江戸時代から続いている互市が開かれます。栗原市は江戸時代に仙台藩が細倉鉱山(ほそくらこうざん)を開発し、亜鉛・鉛を産出しました。ちなみに細倉鉱山は1987年(昭和62年)に閉山し、跡地は観光坑道細倉マインパークになり、鉱山資料館も設置されています。
*参考・・・館山公園(アクセス・歴史・・・)

【館山公園 見どころ・文化財】
館山公園の見どころは館山公園の桜です。館山公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~5月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【館山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0228-25-4166(栗原市観光物産協会)

【館山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
宮城桜名所・宮城桜見ごろ

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