太宰府天満宮(梅見ごろ2月上旬~)福岡梅名所

太宰府天満宮

太宰府天満宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。太宰府天満宮は福岡の梅名所です。太宰府天満宮の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月下旬頃です。太宰府天満宮にはご神木で、樹齢1,000年を超える白梅である飛梅(とびうめ)や全国から献梅された梅など約200種・約6,000本の梅の木が植えられています。飛梅は境内で一番早く咲きます。

【太宰府天満宮 アクセスマップ】
場所・・・福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号

【太宰府天満宮 アクセス・交通】
*西鉄太宰府線太宰府駅(徒歩約5分)

*九州道太宰府IC(車15分)

【太宰府天満宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【太宰府天満宮 時間(要確認)】
開門・閉門時間は季節によって変動あり

【太宰府天満宮 料金(要確認)】
無料

【太宰府天満宮 歴史・簡単概要】
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は福岡県太宰府市宰府にあります。太宰府天満宮は903年(延喜3年)2月25日に亡くなった菅原道真(すがわらにみちざね)の門弟・味酒安行(うまさけのやすゆき)が道真の亡骸を牛車に乗せて進んでいたところ牛が動かなくなり、道真の御心によるものと考え、その地に亡骸を埋葬し、905年(延喜5年)に墓所の上に祀廟(しびょう)を建立したのが起源と言われています。その後京都で疫病や異常気象などが起こったり、909年(延喜9年)に道真左遷の政略を企てた藤原時平(ふじわらのときひら)が亡くなり、道真の祟りと恐れられ、919年(延喜19年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の勅命によって藤原仲平(ふじわらのなかひら)が大宰府に下向して立派な社殿が建立され、安楽寺天満宮の起源になりました。ただ923年(延喜23年)に皇太子・保明親王(やすあきらしんのう)が亡くなり、道真の官位が右大臣に復され、位階・正二位が追贈されました。925年(延長3年)に皇太子・慶頼王(よしよりおう)も亡くなり、930年(延長8年)に醍醐天皇が臨席する会議で清涼殿落雷事件も起り、道真に太政大臣が追贈され、990年(正暦元年)頃に天皇・皇族を祀る社号・天満宮(天満大自在天神)も併用されるようになりました。室町時代には既に学問の神として信仰されるようになったとも言われています。
太宰府市(だざいふし)は福岡県中西部に位置しています。太宰府市は筑紫野市・大野城市・宇美町に接しています。太宰府市は標高約829.6メートルの宝満山(ほうまんざん)を源とする御笠川水系の本流で二級河川・御笠川(みかさがわ)上流域に位置し、福岡平野と筑紫平野を結ぶ二日市(ふつかいち)構造谷にあり、北部に標高約410メートルの四王寺山(しおうじやま)、東部に宝満山、西南部に標高約257.4メートルの天拝山(てんぱいざん)がそびえています。太宰府市では7世紀に筑紫大宰(つくしのおおみこともちのつかさ)が置かれ、第38代・天智天皇の時代(668年~672年)に九州一円を統治する大宰府(だざいふ)政庁が現在の場所に移され、664年(天智天皇3年)に水城(みずき)が設置されて防人(さきもり)が配置されました。太宰府市は九州の政治・経済・文化の中心になりました。太宰府市では901年(昌泰4年)に菅原道真(すがわらのみちざね)が大宰府に左遷され、903年(延喜3年)に菅原道真が亡くなり、905年(延喜5年)に菅原道真の墓の上に太宰府天満宮の前身となる廟が建立され、その後太宰府天満宮の門前町として栄えました。太宰府市では西部・南部で福岡都市圏のベッドタウンとして住宅開発が進んでいます。
*参考・・・太宰府天満宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【太宰府天満宮 見どころ・文化財】
太宰府天満宮の見どころは太宰府天満宮の梅です。太宰府天満宮の梅見ごろは例年2月上旬頃~3月下旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【太宰府天満宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・092-922-8225

【太宰府天満宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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