東慶寺(紅葉見ごろ11月下旬頃~)神奈川紅葉名所
東慶寺
東慶寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。東慶寺は神奈川の紅葉名所です。東慶寺の紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。東慶寺は太平洋戦争後に花の寺として境内が整備され、紅葉を楽しむことができます。東慶寺には紅梅・彼岸桜・枝垂桜・黒姫アジサイ・額アジサイ・花菖蒲・イワタバコ・イワガラミなどが植えられています。
【東慶寺 アクセスマップ】
場所・・・神奈川県鎌倉市山ノ内1367
【東慶寺 アクセス・交通】
*JR北鎌倉駅(徒歩約4分)
【東慶寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【東慶寺 時間(要確認)】
8:30~16:30(4月~9月)
8:30~16:00(10月~3月)
【東慶寺 料金(要確認)】
大人200円、中学生・小学生100円
【東慶寺 歴史・簡単概要】
東慶寺(とうけいじ)は神奈川県鎌倉市山ノ内にあります。東慶寺は鎌倉時代中期の1285年(弘安8年)に鎌倉幕府の有力御家人・安達義景(あだちよしかげ)の娘で、鎌倉幕府8代執権・北条時宗(ほうじょうときむね)の正室・覚山尼(かくさんに・堀内殿)を開山として創建されました。1284年(弘安7年)4月の北条時宗臨終の間際、時宗・覚山尼は時宗が宋(中国)から招いた臨済宗の僧で、無学派(仏光派)の祖・無学祖元禅師(むがくそげんぜんじ・円満常照国師)を導師として揃って落髪(出家)し、翌1285年(弘安8年)に時宗・覚山尼の嫡男で、鎌倉幕府9代執権・北条貞時(ほうじょうさだとき)を開基、覚山尼を開山として創建されました。南北朝時代に第96代・後醍醐天皇の皇女・用堂尼(ようどうに)が後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)の菩提を弔う為に5世住職になり、御所寺・松ヶ岡御所とも言われ、室町時代に鎌倉尼五山(あまござん)の第2位に列せられました。江戸時代初期には関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の三男・豊臣秀頼(とよとみひでより)の娘で、正室・千姫(せんひめ)の養女・天秀尼(てんしゅうに)が20世住持になりました。ちなみに東慶寺は女性から離婚できなかった封建時代に駆け込むと離縁ができる女人救済の寺として、600年間に渡って縁切りの寺法を引き継いできました。東慶寺にはモミジ・イチョウ・ニシキギなどが分布しています。なお東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院です。
鎌倉市(かまくらし)は神奈川県南東部に位置しています。鎌倉市の名称は鎌形に曲がった地形とクラと言われる洞穴(どうけつ)が多かったことに由来しています。鎌倉市は横浜市・逗子市・藤沢市に接しています。鎌倉市は太平洋に向けて突き出し、東京湾と相模湾(さがみわん)とを分ける三浦半島(みうらはんとう)西側に位置し、北側・東側・西側の三方を丘陵地に囲まれ、南側を相模湾に面しています。鎌倉市は天然の要害で、古代、に鎌倉郡の郡衙(ぐんが)が置かれ、豪族・鎌倉氏の本拠でした。鎌倉市は1192年(建久3年)に征夷大将軍となった源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府(かまくらばくふ)を置き、1333年(元弘3年)の東勝寺合戦(とうしょうじがっせん)によって鎌倉幕府が滅亡するまでの約150年間、武家政治の中心地として繁栄しました。鎌倉市には鎌倉のシンボルである鶴岡八幡宮(鎌倉八幡宮)・鎌倉の大仏(長谷の大仏)として知られる高徳院(こうとくいん)、鎌倉五山に数えられた建長寺(けんちょうじ)・円覚寺(えんがくじ)・寿福寺(じゅふくじ)・浄智寺(じょうちじ)、・浄妙寺(じょうみょうじ)そして長谷寺(はせでら)・極楽寺(ごくらくじ)・銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)・明月院(めいげついん)などがあります。
*参考・・・東慶寺(アクセス・歴史・・・)
【東慶寺 見どころ・文化財】
東慶寺の見どころは東慶寺の紅葉です。東慶寺の紅葉は例年11月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・イチョウ・ニシキギなどが色付きます。紅葉のビュースポットは妙智池・放生池周辺です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【東慶寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・ 0467-22-1663(東慶寺)
【東慶寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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