東光寺(紅葉見ごろ11月中旬頃~)山口紅葉名所
東光寺
東光寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。東光寺は山口の紅葉名所です。東光寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。東光寺には毛利吉就など奇数代の長州藩藩主やその夫人・側室などの墓が建立され、重臣諸家が献上した石灯籠500基が並んでいます。またいずれも重要文化財である大雄宝殿・鐘楼・総門・三門も建立されています。
【東光寺 アクセスマップ】
場所・・・山口県萩市椿東1647
【東光寺 アクセス・交通】
*JR東萩駅から萩循環まぁーるバスの場合、東光寺前バス停(徒歩すぐ)
*小郡萩道路絵堂IC(車約20分)
【東光寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【東光寺 時間(要確認)】
8:30~17:00
【東光寺 料金(要確認)】
高校生以上300円、小学生・中学生150円
【東光寺 歴史・簡単概要】
東光寺(とうこうじ)は山口県萩市椿東にあります。東光寺は江戸時代中期の1691年(元禄4年)に長州藩3代藩主・毛利吉就(もうりよしなり)が創建しました。毛利吉就は1687年(貞享4年)に江戸城内で江戸白金瑞聖寺(ずいしょうじ)寺主・慧極(えごく)と初対面して帰依しました。慧極は萩出身で、毛利吉就の父で、長州藩2代藩主・毛利綱広(もうりつなひろ)が信奉した中国僧で、黄檗山(おうばくさん)開山・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師の法統(ほうとう)でした。毛利吉就は慧極の為に新たに寺院を創建しようとしたが、当時新たな寺院の建立が禁止されていたことから家臣の別荘地だった萩松本の土地を買い取り、廃寺であった東光寺を移しました。1694年(元禄7年)に毛利吉就が亡くなり、毛利氏の菩提寺になりました。また同年に隠元隆琦ゆかりの黄檗山(おうばくさん)萬福寺(まんぷくじ)の末寺にもなりました。いずれも重要文化財である1693年(元禄6年)頃に総門、1694年(元禄7年)頃に鐘楼、1698年(元禄11年)に大雄宝殿、1812年(文化9年)に三門に建立されました。明治維新後の廃藩置県後に寺禄が廃止され、大雄宝殿・大方丈・庫裡・鐘楼・総門・三門・土蔵を除くその他の建物が解体されました。東光寺には毛利吉就など奇数代の長州藩藩主やその夫人・側室などの墓が建立され、重臣諸家が献上した石灯籠500基が並んでいます。東光寺には山内にモミジ・イチョウなどが分布しています。
萩市(はぎし)は山口県北部に位置しています。萩市は山口県の山口市・長門市・美祢市・阿武町と島根県の益田市・津和野町に接しています。萩市は山口市阿東嘉年上を源とする二級河川・阿武川(あぶがわ)が橋本川(はしもとがわ)と松本川(まつもとがわ)に分かれて形成した三角州(デルタ地帯)に位置し、三方を山に囲まれ、北側を日本海に面し、日本海に浮かぶ見島(みしま)・相島(あいしま)・大島(おおしま)・櫃島(ひつしま)・羽島(はじま)などの離島も市域に含んでいます。萩市は日本海側にあるが、暖流である対馬海流によって比較的気候は温暖です。ただ冬季は日照時間が少なくなっています。萩市は市域北部を流れる大井川下流域に金銅製の環頭大刀把頭(かんとうたちはとう)や耳環(じかん)が出土した円光寺古墳(えんこうじこふん)などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。萩市は江戸時代初期の1608年(慶長13年)に豊臣政権五大老の一人で、長州藩の藩祖・毛利輝元(もうりてるもと)が日本海に張り出した指月山(しづきやま)に萩城を築城すると長州藩36万石の城下町として発展しました。ちなみに幕末には吉田松陰(よしだしょういん)の私塾である松下村塾(しょうかそんじゅく)から桂小五郎(かつらこごろう・木戸孝允(きどたかよし))・高杉晋作(たかすぎしんさく)・久坂玄瑞(くさかげんずい)・伊藤博文(いとうひろぶみ)らを輩出しました。
*参考・・・東光寺(アクセス・歴史・・・)
【東光寺 見どころ・文化財】
東光寺の見どころは東光寺の紅葉です。東光寺の紅葉は例年11月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにモミジ・イチョウなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【東光寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0838-26-1052(東光寺)
【東光寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●山口紅葉名所・山口紅葉見ごろ
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