鶴岡八幡宮(アクセス・概要・見どころ・・・)
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。鶴岡八幡宮の大銀杏は2010年(平成22年)の雪混じりの強風によって倒伏しました。大銀杏は樹齢1,000年と言われ、1219年(建保7年)1月27日に鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の子で、八幡宮の別当・公暁が隠れて待ち伏せし、叔父で、第3代将軍・源実朝を殺害したとも言われ、隠れ銀杏とも言われていました。
【鶴岡八幡宮 アクセスマップ】
場所・・・神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
【鶴岡八幡宮 アクセス・交通】
*JR鎌倉駅
*江ノ電(江ノ島電鉄)鎌倉駅
【鶴岡八幡宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【鶴岡八幡宮 時間(要確認)】
5:00~21:00
【鶴岡八幡宮 料金(要確認)】
宝物殿
個人
中学生以上200円、小学生100円
団体(25人以上)
大人120円、大学生100円、高校生80円、中学生60円、小学生40円
【鶴岡八幡宮 歴史・簡単概要】
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は1063年(康平6年)に河内源氏2代目・源頼義(みなもとのよりよし)が京都・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を勧請して由比ヶ浜辺に鶴岡若宮として祀ったのが起源です。源頼義は奥州で起こった前九年の役(ぜんくねんのえき)を平定する為に源氏の氏神である石清水八幡で戦勝を祈願し、平定後に鎌倉に帰りました。ちなみに石清水八幡宮は859年(貞観元年)に奈良・大安寺(だいあんじ)の僧・行教(ぎょうきょう)が豊前(大分)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)の祭神・八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という神託を受け、男山の峯に神霊を奉安したのが起源と言われています。その後1180年(治承4年)に河内源氏の後裔で、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が鎌倉に入ると神意を伺って由比ヶ浜辺から現在の場所である小林郷北山に移し、1191年(建久2年)に鎌倉幕府の宗社にふさわしい上下両宮(本宮・若宮)の現在の姿に整備し、1208年(承元2年)には神宮寺が創建されました。ちなみに源頼朝は社頭での神事や行事に繋がる流鏑馬・相撲・舞楽などを行い、関東の総鎮守として篤く崇敬しました。以後武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まったが、鎌倉幕府衰退とともに一時衰退し、1526年(大永6年)の鶴岡八幡宮の戦いでは里見氏によって焼き討ちされ、その後に後北条氏第2代当主・北条氏綱(ほうじょううじつな)が再建しました。江戸時代に江戸幕府の庇護を受けて仁王門・護摩堂などの社殿が整備され、1828年(文政11年)には江戸幕府11代将軍・徳川家斉が現在の本殿を造営しました。明治維新後の廃仏毀釈によって仏堂などが破壊されました。なお鶴岡八幡宮は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(第14代・仲哀天皇の皇后)を祀っています。
*参考・・・鶴岡八幡宮(アクセス・歴史・・・)ホームページ・鶴岡八幡宮(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【鶴岡八幡宮 見どころ・文化財】
鶴岡八幡宮の見どころは上宮(本殿・幣殿・拝殿)・摂社若宮(本殿・幣殿・拝殿)です。なお上宮に続く大石段を登ると見ることができる鎌倉の眺望も見どころです。
●鶴岡八幡宮見どころ・上宮(本殿・幣殿・拝殿)は1828年(文政11年)に江戸幕府11代将軍・徳川家斉が再建しました。本殿は九間社流造の銅瓦葺、幣殿は桁行四間・梁間一間で両下造の銅瓦葺、拝殿は桁行三間・梁間二間で入母屋造の銅瓦葺です。
●鶴岡八幡宮見どころ・摂社若宮(本殿・幣殿・拝殿)は1624年(寛永元年)に造営されました。本殿は五間社流造の銅板葺、幣殿は桁行四間・梁間一間で両下造の銅板葺、拝殿は桁行三間・梁間二間で入母屋造の銅板葺です。
国宝・・・古神宝類(神服類)、古神宝類(刀剣武具類)、籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがきにきくらでんまきえすずりばこ)、太刀 銘正恒
重要文化財・・・大鳥居(一の鳥居)、末社丸山稲荷社本殿、摂社若宮(本殿・幣殿・拝殿)、上宮(本殿・幣殿・拝殿)、上宮回廊、上宮末社武内社本殿など
【鶴岡八幡宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0467-22-0315
【鶴岡八幡宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月