内川周辺の桜並木(桜見ごろ3月下旬頃~)富山桜名所
内川周辺の桜並木
内川周辺の桜並木(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。内川周辺の桜並木は富山の桜名所です。内川周辺の桜並木の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。内川周辺の桜並木にはソメイヨシノ(染井吉野)など桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)内川遊覧船が運航されています。
【内川周辺の桜並木 アクセスマップ】
場所・・・富山県射水市中新湊
【内川周辺の桜並木 アクセス・交通】
*万葉線中新湊駅(徒歩約5分)
*北陸自動車道小杉IC(車約25分)
【内川周辺の桜並木 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【内川周辺の桜並木 時間(要確認)】
自由
【内川周辺の桜並木 料金(要確認)】
無料
【内川周辺の桜並木 歴史・簡単概要】
内川周辺の桜並木(うちかわしゅうへんのさくらなみき)は富山県射水市中新湊にあります。内川周辺の桜並木は富山新港から市街地を流れる二級河川・内川両岸約600メートルにあります。内川はかつて潟湖であった放生津潟(ほうじょうづがた)を源としていました。放生津潟の名称は奈良時代前期の746年(天平18年)に越中守・大伴家持(おおとものやかもち)が大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮(うさじんぐう))から勧請して創建したと言われる放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)の放生会(ほうじょうえ)が行われたことに由来し、越の潟とも言われていました。放生津潟は富山県が商工業発展の為に富山新港を計画し、1961年(昭和36年)4月から工事が着工され、1968年(昭和43年)4月に富山新港が開港すると姿を消しました。内川は新湊地区の中心部を東西に流れる長さ約2.23キロで、富山新港から奈呉ノ浦までの長さ約1.47キロが東内川、奈呉ノ浦から揚水機場までの長さ約0.76キロが西内川と言われています。内川には切妻屋根で覆われた東橋・72枚のステンドグラスの光と色が幻想的な神楽橋・室町時代の歴史ロマンを感じさせる放生津橋などが架けられ、両岸に漁船が連なって繋留され、その光景から日本のベニスと言われています。ちなみにかつて内川沿いには北前船主の蔵が建ち並んでいたそうです。内川では独特な12の橋を巡る内川遊覧船が運航されています。
富山市・高岡市・砺波市に接しています。射水市は北部に小矢部川(おやべがわ)・庄川(しょうがわ)下流域にある沖積平野・射水平野が広がり、南部は太閤山・射水丘陵のなだらかな丘陵地が広がり、北側を富山湾に面し、小矢部川・庄川・内川・和田川・下条川などが流れています。射水市は北部沿岸の砂州上に市街地が発達しています。射水市には旧石器時代の遺跡や縄文時代の串田新遺跡(くしたしん)などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。射水市は古くから北部沿岸の放生津(ほうじょうづ)などが湊町で、奈良時代に放生津に越中守・大伴家持(おおとものやかもち)が放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)を創建し、鎌倉時代に放生津に越中国守護所が置かれました。放生津からは若狭への海路なども開かれ、湊町として発展しました。射水市は安土桃山時代の1585年(天正13年)に加賀前田氏が支配するようになり、江戸時代に加賀藩領になりました。射水市では大正時代から製鉄・製鋼の大型工場が立地し、高岡工業地域の一部を形成しました、1968年(昭和43年)に放生津潟に富山新港が開港すると後背地にアルミニウムコンビナートが形成されました。
*参考・・・内川周辺の桜並木(アクセス・歴史・・・)
【内川周辺の桜並木 見どころ・文化財】
内川周辺の桜並木の見どころは内川周辺の桜並木の桜です。内川周辺の桜並木の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【内川周辺の桜並木 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0766-51-6676(射水市役所大島分庁舎港湾・観光課)
【内川周辺の桜並木 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●富山桜名所・富山桜見ごろ
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