和歌の浦(桜見ごろ3月下旬頃~)和歌山桜名所

和歌の浦

和歌の浦

和歌の浦(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。和歌の浦は和歌山の桜名所です。和歌の浦の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。和歌の浦にはソメイヨシノ(染井吉野)などの桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)高津子山の展望台からは和歌山市内や和歌浦湾などを眺めることができます。

【和歌の浦 アクセスマップ】
場所・・・和歌山県和歌山市新和歌浦

【和歌の浦 アクセス・交通】
*JR和歌山駅(車約30分)

*阪和自動車道和歌山南スマートIC(車約20分)

【和歌の浦 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【和歌の浦 時間(要確認)】
自由

【和歌の浦 料金(要確認)】
無料

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【和歌の浦 歴史・簡単概要】
和歌の浦(わかのうら)・和歌浦は和歌山県和歌山市新和歌浦にあります。和歌の浦は和歌山県・徳島県・兵庫県淡路島に囲まれた紀伊水道(きいすいどう)に臨む和歌浦湾北部にある景勝地です。和歌の浦は古くからの景勝地とされ、奈良時代に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が行幸した際、お供をしていた三十六歌仙の一人である山部赤人(やまべのあかひと)が日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・奈良時代末期成立」の中で「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」と詠みました。ちなみに和歌の浦は元々「若の浦」と言われ、和歌川の河口に砂嘴(さし)の片男波(かたおなみ)が長く延び、海中の島であった玉津島に和歌の神とされる玉津島神社(たまつしまじんじゃ)が祀られていました。現在、和歌の浦は旧和歌浦・新和歌浦・奥和歌浦に分けられます。旧和歌浦には片男波の砂嘴に囲まれた入江で、観海閣・不老橋などがあります。新和歌浦は第1次世界大戦後に開発された海食崖を中心とする景勝地です。奥和歌浦は新和歌浦から西に続く雑賀崎海岸で、鷹ノ巣の海食崖があります。和歌の浦には標高約136.6メートルの高津子山(たかつしやま・章魚頭姿山(たこずしやま))があり、展望台からは和歌山市内や和歌浦湾などを眺めることができます。眺望は朝日夕日百選に選ばれています。なお和歌の浦は国の名勝に指定されています。
和歌山市(わかやまし)は和歌山県北部に位置しています。和歌山市は和歌山県の県庁所在地です。和歌山市は面積が和歌山県全体の約4パーセントしかないが、人口が和歌山県の約40パーセントが集中しています。和歌山市は和歌山県の北西部に広がる和歌山平野西部に位置し、奈良県・三重県の県境にまたがる大台ヶ原(おおだいがはら)を源とする紀の川水系の本流で一級河川・紀の川(きのかわ)河口にあり、西側を和歌山県・徳島県・兵庫県淡路島に囲まれた紀伊水道(きいすいどう)に面しています。和歌山市は中心市街地が紀の川左岸に形成されています。和歌山市は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の異父弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)が和歌山城を築城し、秀吉が和歌浦(わかのうら)に因んで和歌山と命名しました。和歌山市は江戸時代の1619年(元和5年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の十男・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が和歌山城に入城すると徳川御三家(紀州徳川家・水戸徳川家・尾張徳川家)のひとつ紀州藩55万5千石の城下町として栄えました。なお和歌山市には西国三十三所第2番札所の紀三井寺(きみいでら)・玉津島神社(たまつしまじんじゃ)・淡嶋神社(あわしまじんじゃ)などがあります。
*参考・・・和歌の浦(アクセス・歴史・・・)

【和歌の浦 見どころ・文化財】
和歌の浦の見どころは和歌の浦の桜です。和歌の浦の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【和歌の浦 連絡先(要確認)】
電話番号・・・073-433-8118(和歌山市観光協会)

【和歌の浦 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
和歌山桜名所・和歌山桜見ごろ

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