松が岬公園(桜見ごろ4月中旬頃~)山形桜名所
松が岬公園・米沢城址
松が岬公園・米沢城址(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。松が岬公園は山形の桜名所です。松が岬公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。松が岬公園にはお堀沿いにソメイヨシノ(染井吉野)など約200本の桜の木が植えられ、米沢上杉まつり・ライトアップが行われています。桜が散ると水面がピンクに染まります。
【松が岬公園・米沢城址 アクセスマップ】
場所・・・山形県米沢市丸の内1-4-13
【松が岬公園・米沢城址 アクセス・交通】
*JR米沢駅から米沢市街地循環バスの場合、上杉神社前バス停(徒歩約3分)
*東北中央自動車道米沢八幡原IC(車約10分)または米沢中央IC(車約10分)
【松が岬公園・米沢城址 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【松が岬公園・米沢城址 時間(要確認)】
自由
【松が岬公園・米沢城址 料金(要確認)】
無料
【松が岬公園・米沢城址 歴史・簡単概要】
松が岬公園(まつがさきこうえん)・米沢城址(よねざわじょうあと)は山形県米沢市丸の内にあります。松が岬公園は米沢城址を整備した公園です。米沢城は鎌倉時代前期の1238年(暦仁元年)に鎌倉幕府初代政所別当・大江広元(おおえのひろもと)の次男・長井時広(ながいときひろ)が出羽国置賜郡長井郷の地頭になった際に築城したとも言われています。室町時代前期に伊達氏(だてし)の支配下になり、伊達氏15代当主・伊達晴宗(だてはるむね)が本拠地を桑折西山城(こおりにしやまじょう)から米沢城に移し、城下町が発達したとも言われています。安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による奥州仕置(おうしゅうしおき)により、蒲生氏(がもうし)の支配下になって改修が行われました。その後上杉宗家(山内上杉家)17代目・上杉景勝(うえすぎかげかつ)が越後国から会津に移封され、重臣・直江兼続(なおえかねつぐ)が城主になりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から120万石から30万石に減封され、上杉氏が明治維新まで米沢城を居城にしました。1872年(明治5年)に最後の藩主・上杉斉憲(うえすぎなりのり)が城内にあった上杉謙信(うえすぎけんしん)の霊屋(御堂)に上杉鷹山(うえすぎようざん)を合祀して上杉神社を創建し、1873年(明治6年)に建物が全て破却され、1874年(明治7年)に米沢城址が松が岬公園として一般開放されました。
米沢市(よねざわし)は山形県南東部(置賜地方)に位置しています。米沢市は置賜地方最大の都市で、山形県内で4番目に人口が多い都市です。米沢市は山形県の高畠町・川西町・飯豊町、福島県の福島市・喜多方市・猪苗代町・北塩原村に接しています。米沢市は米沢盆地南部に位置し、東部に奥羽山脈(おううさんみゃく)があり、南部から西部に掛けて吾妻連峰(あづまれんぽう)に属する山岳地帯があり、梓川(あずさがわ)・羽黒川(はぐろがわ)・松川(最上川(もがみがわ))・大樽川(おおたるがわ)・小樽川(こたるがわ・鬼面川(おものがわ))などが流れています。米沢市は中心市街地の米沢が松川(最上川)扇状地上に発達しています。米沢市は鎌倉時代の1238年(暦仁元年)頃に長井時広(ながいときひろ)が米沢城を築城するとその城下町になりました。米沢市は室町時代初期に伊達氏の領地になり、伊達政宗(だてまさむね)が米沢城で生まれました。米沢市は江戸時代初期に上杉景勝(うえすぎかげかつ)が会津から移封され、明治まで約270年間に渡って上杉氏の城下町になりました。江戸時代中期に米沢藩9代藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)が藩政改革を行って家内工業の織物業を推奨し、明治時代以降に米沢織として発展し、太平洋戦争前まで繊維工業を中心とした山形県下第一の工業都市になりました。
*参考・・・松が岬公園・米沢城址(アクセス・歴史・・・)
【松が岬公園・米沢城址 見どころ・文化財】
松が岬公園の見どころは松が岬公園の桜です。松が岬公園の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【松が岬公園・米沢城址 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0238-21-6226(米沢観光コンベンション協会)
【松が岬公園・米沢城址 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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