雑司が谷鬼子母神堂(アクセス・概要・見どころ・・・)

雑司が谷鬼子母神堂

雑司が谷鬼子母神堂

雑司が谷鬼子母神堂(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。雑司が谷鬼子母神堂が祀る鬼子母神は王舎城の夜叉神の娘で、嫁いで多くの子供を産んだが、幼児を取って食べることから恐れ憎まれていました。お釈迦様は鬼子母神を過ちから救う為、鬼子母神の末っ子を隠したところ嘆き悲しんで過ちを悟り、その後お釈迦様に帰依して安産・子育の神になりました。

【雑司が谷鬼子母神堂 アクセスマップ】
場所・・・東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20

【雑司が谷鬼子母神堂 アクセス・交通】
*JR池袋駅(徒歩約15分)
*JR目白駅(徒歩約15分)
*都電荒川線・鬼子母神前駅(徒歩約5分)
*東京メトロ副都心線・雑司が谷駅(徒歩約5分)
*JR池袋駅から都バスまたは西武バス・目白方面行きまたは新宿・渋谷方面行きの場合、東京音楽大学前バス停または千登世橋バス停(徒歩すぐ)
*JR目白駅から都バス・新宿駅西口行きの場合、鬼子母神前バス停(徒歩すぐ)

【雑司が谷鬼子母神堂 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【雑司が谷鬼子母神堂 時間(要確認)】
8:00~17:00
年中無休

【雑司が谷鬼子母神堂 料金(要確認)】
無料

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【雑司が谷鬼子母神堂 歴史・簡単概要】
雑司が谷鬼子母神堂(ぞうしがやきしもじんどう)は日蓮宗の寺院・法明寺(ほうみょうじ)の飛地境内に建立されています。雑司が谷鬼子母神堂は1561年(永禄4年)1月16日に雑司の役にあった柳下若挟守の家臣・山村丹右衛門が清土(文京区目白台)周辺から鬼子母神像を掘り出し、星の井(清土鬼子母神堂の三角井戸)あたりで清め、東陽坊(法明寺と合寺した大行院)に納めたのが起源と言われています。東陽坊の僧侶が鬼子母神の霊験顕著なことを知って故郷に持ち帰ったが、すぐに病気になったことから住民が畏れて東陽坊に戻したと言われています。その後鬼子母神の信仰が盛んになり、1578年(天正6年)に現在の場所である稲荷の森に堂宇が建立されて安置されました。1664年(寛文4年)には加賀藩第2代藩主・前田利常(まえだとしつね)の三女で、安芸広島藩第2代藩主・浅野光晟(あさのみつあきら)の正室・満姫(まんひめ・自昌院殿英心日妙大姉)の寄進によって現在の鬼子母神堂(重要文化財)が建立され、その後現在の規模に拡張されました。なお鬼子母神像は鬼形ではなく、羽衣・櫻洛を付けて吉祥果を持ち、幼児を抱いた菩薩形をしています。
*参考・・・雑司が谷鬼子母神堂(アクセス・歴史・・・)ホームページ雑司が谷鬼子母神堂(アクセス・歴史・・・)wikipedia
法明寺は810年(弘仁元年)に真言宗の寺院・威光寺として創建されたのが起源と言われています。鎌倉時代に鎌倉幕府が編纂した歴史書「東鑑(あずまかがみ・吾妻鏡)」の第1巻には「武蔵国威光寺者。依為源家数代御祈祷所。院主僧増円相承之僧坊寺領。如元被奉免之」と記されています。その後1312年(正和元年)に日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮聖人の弟子で、中老僧の一人である日源上人(にちげんしょうにん)が日蓮宗に改め、寺号も威光山法明寺に改めました。室町時代に鬼子母神が祀られると茶屋などの門前町ができたと言われています。
*参考・・・法明寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【雑司が谷鬼子母神堂 見どころ・文化財】
雑司が谷鬼子母神堂の見どころは1664年(寛文4年)に加賀藩第2代藩主・前田利常の三女で、安芸広島藩第2代藩主・浅野光晟の正室・満姫の寄進によって建立された鬼子母神堂です。鬼子母神堂は本殿・相の間・拝殿が一体化した複合建築である権現造です。本殿が流造、拝殿が入母屋造です。なお樹齢約700年とも言われる大公孫樹(おおいちょう)や樹齢400年とも言われるケヤキ並木も見どころです。

重要文化財・・・雑司ヶ谷鬼子母神堂

【雑司が谷鬼子母神堂 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3982-8347

【雑司が谷鬼子母神堂 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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