里見公園(桜見ごろ3月下旬頃~)千葉桜名所
里見公園
里見公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。里見公園は千葉の桜名所です。里見公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。里見公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・オオシマザクラ(大島桜)・カワヅザクラ(河津桜)など約260本の桜の木が植えられ、里見公園さくら祭りが行われたり、ちょうちんが灯されたりします。(要確認)
【里見公園 アクセスマップ】
場所・・・千葉県市川市国府台3-9
【里見公園 アクセス・交通】
*京成本線国府台駅(徒歩約15分)
*京成本線国府台駅からバス・松戸車庫行きの場合、国府台病院バス停(徒歩約5分)
*JR市川駅からバス・松戸車庫行きの場合、国府台病院バス停(徒歩約5分)
*京葉道路市川IC(車15分)
【里見公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【里見公園 時間(要確認)】
自由
【里見公園 料金(要確認)】
無料
【里見公園 歴史・簡単概要】
里見公園(さとみこうえん)は千葉県市川市国府台にあります。里見公園はかつて下総国府が置かれ、下総国の政治・文化の中心だった国府台に整備された面積約8.4ヘクタールの公園です。国府台では1478年(文明10年)に太田道灌(おおたどうかん)が仮陣を築き、その後国府台城(こうのだいじょう)が築城され、室町時代の1538年(天文7年)に小弓公方・足利義明(あしかがよしあき)が里見義堯(さとみよしたか)などを率いて北条氏綱(ほうじょううじつな)と戦って足利義明が戦死し、1564年(永禄7年)に里見義堯の子・里見義弘(さとみよしひろ)が北条軍と戦ったが、いずれも北条軍が勝利して北条氏が支配するようになりました。1590年(天正18年)の関白・豊臣秀吉による小田原征伐後に江戸幕府初代将軍・徳川家康が後北条氏に代わって関東に移封されると国府台城が江戸を見下ろす場所にあったから廃城になったとも言われています。1727年(享保12年)に江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗が總寧寺(そうねいじ)を関宿から移し、1885年(明治18年)に陸軍教導団病院(陸軍衛戍病院・国立国際医療研究センター国府台病院)が設置され、1958年(昭和33年)9月に里見公園が整備されました。里見公園には制施行70周年の記念事業として整備されたバラ園・国府台城跡・紫烟草舎(しえんそうしゃ)・羅漢の井(らかんのい)・里見群亡の碑(さとみぐんぼうのひ)・明戸古墳石棺(あけどこふんせっかん)・夜泣き石(よなきいし)などがあります。
市川市(いちかわし)は千葉県北西部(葛南地域)に位置しています。市川市は千葉県の浦安市・船橋市・松戸市・鎌ケ谷市、東京都の江戸川区に接しています。市川市は千葉県内で千葉市・船橋市に次いで3番目に人口が多い市です。ちなみに市川市は江戸川と旧江戸川を挟んで江戸川区に接していることから東京23区への通勤率が46.5%になったこともあるそうです。市川市は北部に海抜約20メートルのなだらかな台地が広がり、南部に海抜約2メートルの平野が広がり、南部を東京湾に面し、江戸川・旧江戸川・真間川・大柏川・春木川が流れています。市川市は最高点でも里見公園の約30.1メートルしかなく、一部が海抜ゼロメートル地帯になっています。市川市には日本初の竪穴住居跡が発見された姥山貝塚(うばやまかいづか)や堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)などの縄文遺跡が多く発見され、古くから人が住んでいたとも言われています。市川市は古代に国府・国分寺・国分尼寺が置かれて下総国の中心地でした。市川市では太平洋戦争後に国府台の軍施設が学校施設に転換され、東京湾沿岸に埋立地が造成されて京葉工業地域の一部になりました。また市川市では住宅地化も進展して東京都心のベッドタウンにもなりました。
*参考・・・里見公園(アクセス・歴史・・・)
【里見公園 見どころ・文化財】
里見公園の見どころは里見公園の桜です。里見公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。桜のビュースポットは洋風庭園噴水周辺です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【里見公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・047-711-1142(市川市観光交流推進課)
【里見公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●千葉桜名所・千葉桜見ごろ