吉見百穴(桜見ごろ3月下旬頃~)埼玉桜名所

吉見百穴

吉見百穴

吉見百穴(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。吉見百穴は埼玉の桜名所です。吉見百穴の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。吉見百穴には周辺にソメイヨシノ(染井吉野)などの桜の木が植えられ、吉見百穴桜まつり・夜桜ライトアップが行われます。(要確認)吉見百穴桜まつりでは期間中に吉見百穴が無料開放されることがあります。(要確認)

【吉見百穴 アクセスマップ】
場所・・・埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324

【吉見百穴 アクセス・交通】
*東武東上線東松山駅からバス・鴻巣免許センター行きの場合、百穴入口バス停(徒歩約7分)
*JR高崎線鴻巣駅からバス・東松山駅行きの場合、百穴入口バス停(徒歩約7分)

*関越自動車道東松山IC(車約15分)または圏央道川島IC(車約15分)

【吉見百穴 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【吉見百穴 時間(要確認)】
8:30~17:00(受付16:30終了)

【吉見百穴 料金(要確認)】
大人300円、小学生200円

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【吉見百穴 歴史・簡単概要】
吉見百穴(よしみひゃくあな・よしみひゃっけつ)は埼玉県比企郡吉見町にあります。吉見百穴は今から約1,400年前の古墳時代後期(6世紀頃~7世紀頃)に造られた横穴墓群の遺跡です。吉見百穴は凝灰岩(ぎょうかいがん)の岩山斜面に2~3メートル四方ほどの穴が219個あると言われ、日本最大規模の横穴墳群とも言われています。一般的に多くの古墳は土を盛った小山に1つだけ被葬者(ひそうしゃ)・死者を埋葬する玄室(げんしつ)があるのに対し、吉見百穴は岩山の表面から玄室に相当する小穴がたくさん掘られた集合墳墓になっています。吉見百穴では1887年(明治20年)に自然人類学者・坪井正五郎(つぼいしょうごろう)が勾玉(まがたま)・鏡・金銀環(きんぎんかん)・刀などの金具や土器類が発掘しました。坪井正五郎は当初穴居跡としたが、その後の調査によって古墳時代後期の横穴墓群であることが分かりました。吉見百穴は1923年(大正12年)3月7日に国の史跡に指定されました。ちなみに吉見百穴では岩山の下方にヒカリゴケが自生している穴があり、吉見百穴ヒカリゴケ発生地として国の天然記念物に指定されています。吉見百穴では太平洋戦争中に地下軍需工場を建設する為、岩山の最下部にトンネル(直径約3メートル)が碁盤の目状に掘られました。吉見百穴には周辺にソメイヨシノ(染井吉野)などの桜の木が植えられています。吉見百穴では吉見百穴桜まつり・夜桜ライトアップが行われます。(要確認)
吉見町(よしみまち)は埼玉県中部に位置しています。吉見町は滑川町(なめがわまち)・嵐山町(らんざんまち)・小川町(おがわまち)・川島町(かわじままち)・鳩山町(はとやままち)・ときがわ町(ときがわまち)とともに比企郡 (ひきぐん)を構成し、熊谷市・鴻巣市・東松山市・北本市・川島町に接しています。吉見町は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する標高約2,475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源とする荒川水系の本流で一級河川・荒川(あらかわ)流域の荒川低地に位置し、荒川とその支流・市野川に挟まれ、東部に荒川低地が広がり、西部に比企丘陵があります。には3世紀後半頃の三ノ耕地遺跡・古墳時代後期(6世紀頃~7世紀頃)の吉見百穴(よしみひゃくあな)などがあり、古くから人が住んでいたとも言われています。吉見町では室町時代前期に上田氏が松山城(まつやまじょう・武州松山城)を築城しました。吉見町では東部の荒川低地で稲作やイチゴのハウス栽培が行われ、西部の比企丘陵で野菜の栽培が行われています。また吉見町では丘陵地に工業団地や住宅団地が建設され、都市化が進んでいます。なお吉見町では吉見観音で知られる坂東三十三所11番札所・安楽寺(あんらくじ)もあります。
*参考・・・吉見百穴(アクセス・歴史・・・)

【吉見百穴 見どころ・文化財】
吉見百穴の見どころは吉見百穴の桜です。吉見百穴の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【吉見百穴 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0493-54-4541(吉見百穴事務所)

【吉見百穴 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
埼玉桜名所・埼玉桜見ごろ

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