神宮院・高座石寺(梅見ごろ2月下旬~)福岡梅名所

神宮院・高座石寺

神宮院・高座石寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。神宮院・高座石寺は福岡の梅名所です。神宮院・高座石寺の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月上旬頃です。神宮院・高座石寺には紅梅・白梅など約800本の梅の木が植えられています。梅が見ごろを迎える毎年3月の第1日曜日に梅まつりが催され、護摩焚き・カラオケ大会などのイベントが行われています。(要確認)

【神宮院・高座石寺 アクセスマップ】
場所・・・福岡県田川郡香春町大字香春

【神宮院・高座石寺 アクセス・交通】
*JR日田彦山線香春駅(徒歩約25分)
*西鉄バス・神宮バス停(徒歩約10分)

*小倉IC(車約20分)

【神宮院・高座石寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【神宮院・高座石寺 時間(要確認)】
不明

【神宮院・高座石寺 料金(要確認)】
不明

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【神宮院・高座石寺 歴史・簡単概要】
神宮院(じんぐういん)・高座石寺(こうぞうじ)は福岡県田川郡香春町大字香春にあります。神宮院は平安時代前期の814年(弘仁5年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が創建したと言われています。最澄は804年(延暦23年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の命で唐(中国)に遣唐使として入唐する際、宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)に参詣して神託を受けたことから賀春明神(香春神社(かわらじんじゃ))を詣で安全を祈願しました。その後814年(弘仁5年)にこの地を訪れて七昼夜に渡って法要を行うと香春岳に紫の雲が現れ、山に草木が生えて農作物も稔り、病気も無くなったことから伽藍を整備して神宮院を創建したと言われています。また香春岳頂上に比叡山(ひえいざん)の山王権現(さんのうごんげん)を勧請して神宮院の守護神としたと言われています。その後度々兵火に見舞われ、江戸時代に豊前国小倉藩第2代藩主・小笠原忠雄(おがさわらただたか)が再建したと言われています。高座石寺は賀春明神(香春神社)の神宮寺として建立された六坊の一つと言われています。その後兵火に見舞われたり、荒廃したりし、江戸時代中期の1721年(享保6年)に現在の場所に移されたと言われています。神宮院・高座石寺には紅梅・白梅など約800本の梅の木が植えられています。梅が見ごろを迎える毎年3月の第1日曜日に梅まつりが催され、護摩焚き・カラオケ大会などのイベントが行われています。(要確認)
香春町(かわらまち)は福岡県東部に位置しています。香春町は添田町(そえだまち)・糸田町(いとだまち)・川崎町(かわさきまち)・大任町(おおとうまち)・赤村(あかむら)・福智町(ふくちまち)とともに田川郡(たがわぐん)を構成し、北九州市・田川市・福智町・大任町・赤村・みやこ町に接しています。香春町は筑豊地域(ちくほうちいき)北東端部に位置し、一級河川・遠賀川(おんががわ)の支流・金辺川 (きべがわ) 流域の沖積低地にあり、東部に標高約573メートル飯岳山(いいだけさん)・西部に標高約580メートル牛斬山(うしきりさん)などの山地があります。香春町は町域の南西端部を除き、大部分が山地に占められています。香春町は古くから朝鮮半島にゆかりがあり、町名は古代朝鮮語に由来していると言われています。香春町は豊前国府から大宰府に通じる官道の宿駅がありました。香春町では奈良時代に奈良・東大寺(とうだいじ)で大仏建立された際に採銅所(さいどうしょ)の銅が使われました。香春町は中世に中心地区の香春が山城があった香春岳を背後に控える交通の要地で、宿場町として発達しました。香春町では江戸時代に小倉藩の奉行所が置かれ、明治維新後もしばらくは田川地方の中心地でした。香春町には主に石灰岩で形成された香春岳があり、セメント産業が盛んです。
*参考・・・神宮院・高座石寺(アクセス・歴史・・・)

【神宮院・高座石寺 見どころ・文化財】
神宮院・高座石寺の見どころは神宮院・高座石寺の梅です。神宮院・高座石寺の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【神宮院・高座石寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0947-32-2221(高座石寺)

【神宮院・高座石寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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