妙義神社(桜見ごろ4月上旬頃)群馬桜名所

妙義神社
妙義神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。妙義神社は群馬の桜名所です。妙義神社の桜見ごろは例年4月上旬頃です。妙義神社にはシダレザクラ(しだれ桜)・ソメイヨシノ(染井吉野)・ウコン(鬱金)などの桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)パワースポットとしても人気があります。
【妙義神社 アクセスマップ】
場所・・・群馬県富岡市妙義町妙義6
【妙義神社 アクセス・交通】
*JR松井田駅(車約10分)
*上信越自動車道松井田妙義IC(車約5分)
【妙義神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【妙義神社 時間(要確認)】
自由
【妙義神社 料金(要確認)】
無料
【妙義神社 歴史・簡単概要】
妙義神社(みょうぎじんじゃ)は群馬県富岡市妙義町妙義にあります。妙義神社は標高約1,449メートルの榛名山(はるなさん)・標高約1,828メートルの赤城山(あかぎさん)とともに上毛三山(じょうもうさんざん)に数えられる標高約1,103メートルの妙義山(みょうぎさん)の主峰・白雲山(はくうんさん)中腹(東麓)に祀られています。妙義神社は社記によると古墳時代の537年(宣化天皇2年)に創建されたとも言われています。妙義神社は元々波己曽(はこそ)の大神と称し、その後に妙義の大神と改められました。古くから朝野(ちょうや)に崇敬され、開運・商売繁昌・火防・学業児童・縁結・農耕桑蚕の神として信仰されました。江戸時代に歴代将軍が江戸の乾(戌亥)の鎮めなどから篤く崇敬し、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺である上野寛永寺(かんえいじ)の末寺・白雲山高顕院石塔寺が別当を務めました。ただ明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で石塔寺が廃寺になり、仁王門(総門)が残されています。江戸時代中期の1756年(宝暦6年)にいずれも重要文化財である本殿・幣殿・拝殿・唐門、1773年(安永2年)に総門(石塔寺の仁王門)が建立されました。妙義神社には樹齢200年のシダレザクラなどのシダレザクラ(しだれ桜)・ソメイヨシノ(染井吉野)・ウコン(鬱金)などの桜の木が植えられています。なお妙義神社はパワースポットとしても人気があります。
富岡市(とみおかし)は群馬県南西部に位置しています。富岡市は高崎市・安中市・下仁田町・甘楽町に接しています。富岡市は関東地方の一都六県にまたがる日本最大の平野である関東平野北西部に位置し、群馬県下仁田町と長野県佐久市との境にある標高約1,375メートルの物見山(ものみやま)を源とする利根川(とねがわ)水系の一級河川・鏑川(かぶらがわ)中流部にあり、鏑川・高田川・丹生川(にゅうがわ)などがあります。富岡市は榛名山(はるなさん)・赤城山(あかぎさん)とともに上毛三山(じょうもうさんざん)に数えられる標高約1,103メートルの妙義山(みょうぎさん)南東麓と鏑川流域にあり、市街地が鏑川北岸の段丘面にあります。富岡市には古墳時代の遺跡があり、古くから人が住んでいたとも言われています。富岡市は江戸時代に中山道(なかせんどう)脇往還・信濃別路(しなのべつろ)の宿場町、富岡絹の市場町、江戸幕府御用の砥石(といし)の問屋場として栄えました。富岡市は1872年(明治5年)に日本初の官営機械製糸工場・富岡製糸場が設置されると民間の製糸工場も立地し、製糸業の町として発展しました。富岡製糸場は1987年(昭和62年)に操業停止し、その後国の史跡・国の重要文化財に指定され、2014年(平成26年)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。富岡市は1960年代から工業団地が造成され、電気機器・輸送用機器・食品などの工場が立地しています。
*参考・・・妙義神社(アクセス・歴史・・・)
【妙義神社 見どころ・文化財】
妙義神社の見どころは妙義神社の桜です。妙義神社の桜見ごろは例年4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【妙義神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0274-62-6001(富岡市観光協会)
【妙義神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●群馬桜名所・群馬桜見ごろ