中山寺(梅見ごろ2月中旬~)兵庫梅名所
中山寺
中山寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。中山寺は兵庫の梅名所です。中山寺の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月下旬頃です。中山寺には梅林に千鳥紅梅・鹿児島紅梅・・玉梅・豊後・摩耶紅梅など約1,000本の梅の木が植えられていています。梅林で採れた梅の実を使った梅酒・紫雲や梅シロップ・みやすうめが限定販売されたりします。(要確認)
【中山寺 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1
【中山寺 アクセス・交通】
*阪急宝塚線・中山観音駅(徒歩すぐ)
*JR宝塚線 ・中山寺駅(徒歩約15分)
【中山寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【中山寺 時間(要確認)】
自由
【中山寺 料金(要確認)】
無料
【中山寺 歴史・簡単概要】
中山寺(なかやまでら)は兵庫県宝塚市中山寺にあります。中山寺は第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が創建し、日本最初の観音霊場とも言われています。聖徳太子が第14代・仲哀天皇の先后(さきのきさき)・大中姫(おおなかひめ)、その長子・かご坂皇子(かごさかのおうじ)、弟・忍熊皇子(おしくまのおうじ)の追善供養の為、または聖徳太子・蘇我馬子(そがのうまこ)との政争に敗れた物部守屋(もののべのもりや)の霊を鎮める為に建立されたと伝わっています。奈良時代に大小多数の堂塔伽藍が建立され、真言宗(しんごんしゅう)の高野山(こうやさん)や天台宗(てんだいしゅう)の比叡山(ひえいざん)に匹敵する大寺院だったと伝わり、勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)・797年(延暦16年)完成」にもその名が記されています。その後度々兵火や天災に見舞われたが、桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が祈願して三男・豊臣秀頼(とよとみひでより)を授かった為、1603年(慶長8年)に片桐且元(かたぎりかつもと)に命じて現在の本堂・護摩堂を再建しました。その後江戸時代前期の1646年(正保3年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が大門を再建しました。中山寺には梅林に千鳥紅梅(ちどりこうばい)・鹿児島紅梅(かごしまこうばい)・白加賀(しろかが)・玉梅(たまうめ)・豊後(ぶんご)・摩耶紅梅(まやこうばい)など約1,000本の梅の木が植えられていています。梅林では梅の見ごろに梅まつり法会が行われた、梅林で採れた梅の実を使った梅酒・紫雲や梅シロップ・みやすうめが限定販売されたりします。(要確認)
宝塚市(たからづかし)は兵庫県南東部(阪神間)に位置しています。宝塚市は神戸市・伊丹市・西宮市・川西市・三田市・猪名川町に接しています。宝塚市は兵庫県南東部を流れる二級河川・武庫川(むこがわ)中流域に位置し、武庫川・逆瀬川(さかせがわ)・仁川(にがわ)・荒神川(こうじんがわ)・羽束川(はつかがわ)などが流れています。宝塚市は4世紀頃から7世紀頃に多くの古墳が造られました。宝塚市では飛鳥時代に第31代・用明天皇の第2皇子・聖徳太子が中山寺(なかやまでら)を創建し、日本最初の観音霊場とも言われています。宝塚市は奈良時代から中心市街が温泉地だったとも言われています。宝塚市は江戸時代に小浜宿が有馬街道の宿場町として栄え、酒造も発達しました。宝塚市では1886年(明治19年)に武庫川右岸に温泉が開発されて宝塚温泉と名付けられ、1910年(明治43年)に箕面有馬電気軌道 (阪急電鉄) が武庫川左岸に宝塚新温泉を開発して遊園地を設置し、少女歌劇 (宝塚歌劇団) を上演して観光都市の礎を築きました。1956年にボーリングによって温泉の湧出量が増加し、阪神地方に最も近い温泉郷に発展しました。宝塚市は1960年代以降からは周囲の山地に宅地化が進みました。なお宝塚市は宝塚歌劇団の本拠地で、歌劇の街として全国に知られています。
*参考・・・中山寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【中山寺 見どころ・文化財】
中山寺の見どころは中山寺の梅です。中山寺の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月下旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【中山寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0797-87-0024(中山寺)
【中山寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月