佐倉城址公園(桜見ごろ3月下旬頃~)千葉桜名所
佐倉城址公園
佐倉城址公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。佐倉城址公園は千葉の桜名所です。佐倉城址公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。佐倉城址公園には江戸時代から名桜と言われる13種をはじめ、ソメイヨシノ(染井吉野)・オオシマザクラ(大島桜)・カワヅザクラ(河津桜)など約50種・約1,100本の桜の木が植えられています。
【佐倉城址公園 アクセスマップ】
場所・・・千葉県佐倉市城内町官有無番地
【佐倉城址公園 アクセス・交通】
*京成電鉄京成佐倉駅(徒歩約20分)
*JR佐倉駅(徒歩約25分)
*東関東自動車道佐倉IC(車約15分)
【佐倉城址公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【佐倉城址公園 時間(要確認)】
自由
【佐倉城址公園 料金(要確認)】
無料
【佐倉城址公園 歴史・簡単概要】
佐倉城址公園(さくらじょうしこうえん)は千葉県佐倉市にあります。佐倉城址公園は千葉県内で唯一日本百名城に指定されている佐倉城跡に整備された面積約213,100平方メートルの歴史公園(都市公園)です。佐倉城は戦国時代に本佐倉城(もとさくらじょう)城主で、千葉氏第26代当主・千葉親胤(ちばちかたね)が大叔父・鹿島幹胤(かしまみきたね)に命じて築城を開始したが、千葉親胤の暗殺や千葉氏第29代当主・千葉邦胤(ちばくにたね)の暗殺によって中断し、鹿島親幹(かしまちかもと)に因んで鹿島台と言われるようになりました。その後1610年(慶長15年)に佐倉藩主・土井利勝(どいとしかつ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の命によって築城を再開し、佐倉藩の藩庁が置かれました。1813年(文化10年)に盗賊の失火によって天守が焼失し、明治維新後の廃城令にって建物の多くが撤去され、その後帝国陸軍の駐屯地になりました。1962年(昭和37年)に佐倉市の史跡に指定されて公園として整備されました。佐倉城址公園には天守閣跡・巨大な馬出し空堀・水堀に守られた南出丸跡や西出丸跡など佐倉城の遺構が残されています。また佐倉城址公園には国立歴史民俗博物館・日本100名城スタンプが置かれた佐倉城址公園センター(佐倉城址公園管理センター)・三逕亭(茶室)・菖蒲園・姥が池・自由広場があります。佐倉城址公園には桜以外にも樹齢約400年の夫婦モッコク(千葉県指定天然記念物)やシイ・カシ・モミジなどの大木が植えられています。
佐倉市(さくらし)は千葉県北部に位置しています。佐倉市は千葉市・四街道市・八千代市・印西市・八街市・酒々井町に接しています。佐倉市は千葉県北部に広がる下総台地(しもうさだいち・北総台地)中央部に位置し、北部に印旛沼(いんばぬま)の西部調節池(西印旛沼)があり、いずれも利根川水系の一級河川である鹿島川(かしまがわ)・高崎川(たかさきがわ)が流れています。ちなみに佐倉市の「佐」は下総台地(北総台地)の小谷が入り込んだ狭い土地を意味しているそうです。佐倉市は鎌倉時代に千葉氏の一族・臼井氏が印旛沼を見下ろす高台に城を築城し、戦国時代に千葉氏が本佐倉城(もとさくらじょう)を拠点にしました。その後江戸時代初期に佐倉藩主・土井利勝(どいとしかつ)が佐倉城を築城し、その城下町また佐倉街道の宿場町として栄えました。また佐倉市は江戸時代後期に佐倉順天堂(じゅんてんどう)を中心に蘭学の先進地になり、「西の長崎、東の佐倉」とも言われる西洋医学の街になりました。明治時代以降に帝国陸軍の駐屯地が佐倉城址に置かれ、太平洋戦争後まで軍都として発展しました。佐倉市は戦後京成電鉄本線・JR総武本線・成田線が東西を貫いていることもあり、首都圏の住宅都市(ベットタウン)として発展しました。
*参考・・・佐倉城址公園(アクセス・歴史・・・)
【佐倉城址公園 見どころ・文化財】
佐倉城址公園の見どころは佐倉城址公園の桜です。佐倉城址公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【佐倉城址公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・043-484-4318(佐倉市役所公園緑地課)
【佐倉城址公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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