宗吾霊堂(桜見ごろ4月上旬頃~)千葉桜名所

宗吾霊堂
宗吾霊堂(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。宗吾霊堂は千葉の桜名所です。宗吾霊堂の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。宗吾霊堂には約300本のソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ボタンザクラ(牡丹桜)が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)なおアジサイの名所でもあります。
【宗吾霊堂 アクセスマップ】
場所・・・千葉県成田市宗吾1-558
【宗吾霊堂 アクセス・交通】
*京成電鉄宗吾参道駅(徒歩約10分)
*東関東自動車道富里IC(車約20分)
【宗吾霊堂 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【宗吾霊堂 時間(要確認)】
9:00~16:00
【宗吾霊堂 料金(要確認)】
700円(霊宝殿・宗吾御一代記館共通)
【宗吾霊堂 歴史・簡単概要】
宗吾霊堂(そうごれいどう)は千葉県成田市宗吾にあります。宗吾霊堂は寺号を東勝寺(とうしょうじ)と言うが、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の時代(1651年(慶安4年)~1680年(延宝8年))に佐倉藩国家老による農民の窮乏を訴える為に将軍に直訴した義民・佐倉宗吾(さくらそうご・木内惣五郎)の霊が祀られていることから宗吾霊堂と言われています。宗吾霊堂は寺伝によると第50代・桓武天皇の時代(781年(天応元年)~806年(延暦25年))に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が房総を平定し、戦没者供養の為に創建したとも言われています。その後度々火災で焼失して転々と移り、1662年(寛文2年)に澄祐(ちょうゆう)が下方字鐘打に再興しました。澄祐は直訴によって公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられた佐倉宗吾を刑場跡に埋葬したとも言われています。ちなみに佐倉宗吾は1752年(宝暦2年)に下総国佐倉藩初代藩主・堀田正亮(ほったまさすけ)から法号・宗吾道閑居士を贈り、以来惣五郎様から宗吾様と言われるようになったそうです。1910年(明治43年)にも火災で焼失し、1921年(大正10年)に現在の場所に再建されました。宗吾霊堂には裏手などに約300本のソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ボタンザクラ(牡丹桜)が植えられています。また宗吾霊堂にはアジサイ園に約5,500株のアジサイも植えられ、毎年6月に紫陽花まつりが行われています。
成田市(なりたし)は千葉県北部に位置しています。成田市は千葉県の印西市・富里市・香取市・栄町・酒々井町・神崎町・多古町・芝山町、茨城県の河内町に接しています。成田市は埼玉県東部から千葉県北部に広がる下総台地(しもうさだいち・北総台地)北部に位置し、西部に利根川水系の湖沼・印旛沼(いんばぬま)があり、坂東太郎(ばんどうたろう)とも言われる利根川水系の本流で一級河川・利根川などの河川が流れています。成田市は平安時代中期の940年(天慶3年)に成田不動とも言われる成田山新勝寺(しんしょうじ)が創建されるとその門前町として栄えました。成田市は下総台地が水利に恵まれなかったこともあり、江戸時代末期まで野馬放牧地に利用されていたが,明治時代以降にラッカセイ・サツマイモの栽培が行われるようになり、太平洋戦争後にハクサイ・スイカなども栽培されるようになりました。成田市では1966年(昭和41年)に下総御料牧場のある三里塚(さんりづか)を中心に新空港が建設されることになり、1978年(昭和53年)に新東京国際空港(成田国際空港)が開港され、日本の空の玄関になりました。
*参考・・・宗吾霊堂(アクセス・歴史・・・)
【宗吾霊堂 見どころ・文化財】
宗吾霊堂の見どころは宗吾霊堂の桜です。宗吾霊堂の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【宗吾霊堂 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0476-27-3131(宗吾霊堂)
【宗吾霊堂 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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