富士山本宮浅間大社(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

富士山本宮浅間大社
富士山本宮浅間大社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。富士山本宮浅間大社は富士山の8合目以上を奥宮の境内地(約120万坪)とし、表口(富士宮口)から上りつめた富士山頂上に奥宮が祀られています。奥宮では7・8月の開山期に神職が奉仕し、国家安泰や氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念したり、お札・お守り・御朱印などを授与したりしているそうです。
【富士山本宮浅間大社 アクセスマップ】
場所・・・静岡県富士宮市宮町1-1(本宮)
場所・・・静岡県富士宮市粟倉地先・富士山頂上(奥宮)
【富士山本宮浅間大社 アクセス・交通】
*JR身延線・富士宮駅(徒歩約10分)
【富士山本宮浅間大社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【富士山本宮浅間大社 時間(要確認)】
6:00~19:00(11/1~2/末日)
5:30~19:30(3/1・10/31)
5:00~20:00(4/1~9/30)
【富士山本宮浅間大社 料金(要確認)】
無料
【富士山本宮浅間大社 歴史・簡単概要】
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は起源が明確ではありません。富士山本宮浅間大社は「富士本宮浅間社記(寛政年間(1789年~1801年))」によると第7代・孝霊天皇の時代(紀元前290年~紀元前215年)に富士山が大噴火して住民が離散して荒れ果て、紀元前27年(垂仁天皇3年)に第11代・垂仁天皇が憂って浅間大神を山足の地に祀って山霊を鎮めたのが起源とも言われています。富士山本宮浅間大社は富士山を鎮める為に浅間大神を祀った最初の神社で、全国の浅間神社の起源とも言われています。110年(景行天皇40年)に第12代・景行天皇の皇子で、第14代・仲哀天皇の父である日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征した際に富士浅間大神に祈念し、賊徒の野火から脱したことから山宮(山宮浅間神社)に浅間大神を祀ったとも言われています。その後806年(大同元年)に坂上田村麿が第51代・平城天皇の勅命により、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営して山宮から移したと言われています。853年(仁寿3年)に神階・従三位に叙され、「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「駿河国富士郡 浅間神社 名神大」と記されて名神大社に列し、1141年(永治元年)には神階・正一位に叙されました。その後源頼朝・北条義時・武田信玄・武田勝頼・徳川家康などの武家にも崇敬されました。1193年(建久4年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が流鏑馬を奉納して社殿を修復し、流鏑馬祭の起源になったと言われています。戦国時代に武田信玄・勝頼の父子が神領を寄進して社殿を修造し、江戸時代には江戸幕府初代将軍・徳川家康が関ヶ原の戦いの勝利の御礼として、本殿・拝殿・楼門など30余棟を造営して境内一円を整備しました。なお富士山本宮浅間大社は主祭神に浅間大神(あさまのおおかみ)である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、相殿神に瓊々杵尊(ににぎのみこと)・大山祇神(おおやまづみのかみ)を祀っています。
富士山本宮浅間大社は2013年(平成25年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(富士山 信仰の対象と芸術の源泉)のひとつに登録されました。
*参考・・・富士山本宮浅間大社(アクセス・歴史・・・)ホームページ・富士山本宮浅間大社(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【富士山本宮浅間大社 見どころ・文化財】
富士山本宮浅間大社の見どころは1604年(慶長9年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が造営した本殿・拝殿・幣殿・楼門です。家康は本殿など30余の社殿を造営したが、1707年(宝永4年)の宝永地震・1854年(嘉永7年)の安政東海地震などで多くの社殿が倒壊し、本殿・拝殿・楼門が残ったそうです。
●富士山本宮浅間大社見どころ・本殿は桁行5間・梁間4間・宝殿造の社殿の上に間口3間・奥行2間の三間社流造の社殿が造営された棟高45尺の珍しい二重の楼閣造の桧皮葺で、浅間造りとも言われています。
●富士山本宮浅間大社見どころ・拝殿は間口5間・奥行5間で、正面が入母屋造・背面が切妻造の檜皮葺です。
●富士山本宮浅間大社見どころ・幣殿は間口5間・奥行3間で、両下造の檜皮葺です。幣殿は本殿と拝殿を繋いでいます。
●富士山本宮浅間大社見どころ・楼門は間口4間・奥行2間半、高さ6間半の入母屋造です。
重要文化財・・・本殿、絹本著色富士曼荼羅図、太刀 銘南无薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光、脇指 銘奉富士本宮源式部丞信国 一期一腰応永卅
【富士山本宮浅間大社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0544-27-2002
【富士山本宮浅間大社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月