福王寺の桜(桜見ごろ4月中旬頃~)長野桜名所
福王寺の桜
福王寺の桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。福王寺の桜は長野の桜名所です。福王寺の桜の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。福王寺の桜は樹齢300年を超えるしだれ桜(枝垂桜)です。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)福王寺には鎌倉時代に造仏された阿弥陀如来坐像(重要文化財)が祀られています。
【福王寺の桜 アクセスマップ】
場所・・・長野県佐久市協和1054
【福王寺の桜 アクセス・交通】
*上信越自動車道佐久IC(車約30分)
*JR北陸新幹線佐久平駅(車約5分)
【福王寺の桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【福王寺の桜 時間(要確認)】
不明
【福王寺の桜 料金(要確認)】
無料
【福王寺の桜 歴史・簡単概要】
福王寺の桜(ふくおうじのさくら)は長野県佐久市協和にあります。福王寺は寺伝によると平安時代前期の807年(大同2年)にこの地を治めていた豪族が創建したと言われています。801年(延暦20年)に陸奥胆澤(むついさわ)地方で蝦夷(えみし)の大反乱が起こり、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東山道を通っている際、同行の僧侶が病気に伏している豪族の妻に薬を与えて祈祷したが、その甲斐なく亡くなりました。そのことを知った坂上田村麻呂が墓を造れと言ったことから比田井山の丘に墓が造られ、またその丘から見て一番良い場所に「一寺を建立せよ」と言い残して蝦夷に向い、その後日当たりが良く、湧き水のある現在の場所に福王寺が建立されたと言われています。鎌倉時代に信濃国佐久郡望月地方を本拠とした望月氏(もちづきうじ)の庇護を受け、本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(重要文化財)が造仏されて信仰を集めました。その後江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)の山火事で阿弥陀如来坐像・日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)・毘沙門天(びしゃもんてん)・雨宝童子(うほうどうじ)などを除き、伽藍・寺宝・古文書などの多くが焼失し、江戸時代中期の1709年(宝永6年)までに現在の本堂・方丈・阿弥陀堂・不動堂・仁王門などが再建されました。福王寺には樹齢300年を超えるしだれ桜も植えられています。
佐久市(さくし)は長野県東部(東信地方)に位置しています。佐久市は長野県の小諸市・茅野市・東御市・軽井沢町・御代田町・立科町・佐久穂町、群馬県の下仁田町・南牧村に接しています。佐久市は埼玉県・山梨県・長野県の境に位置する標高約2,475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)の長野県側斜面を源とする千曲川(ちくまがわ・信濃川(しなのがわ))が北流する佐久盆地(さくぼんち)中央部に位置し、北側に標高約2,568メートルの浅間山(あさまやま)があり、南側に標高約2,899メートルの八ヶ岳(やつがたけ)を望む標高約700メートルの高原があります。佐久市は内陸性気候の為、寒暖の差は激しい地域です。佐久市は北部の岩村田が中世の大井荘(おおいのしょう)の地で、江戸時代に佐久甲州街道・中山道の宿場町、内藤氏の城下町として発達し、明治時代以降に北佐久郡における行政の中心地になりました。野沢は中世の伴野荘(とものしょう)の地で、江戸時代に佐久甲州街道の宿場町として発達し、佐久の水田養鯉(ようり)が知られました。現在は溜池で共同飼育が行われているそうです。ちなみに佐久鯉(さくごい)が名産品になっています。佐久市は北陸新幹線・小海線・上信越自動車道・中部横断自動車道が通じ、旭湯温泉・初谷温泉・春日温泉などの観光スポットがあります。
*参考・・・福王寺の桜(アクセス・歴史・・・)
【福王寺の桜 見どころ・文化財】
福王寺の桜の見どころは福王寺の桜です。福王寺の桜の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【福王寺の桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0267-62-3285(佐久市観光課)
【福王寺の桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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