古野梅園(梅見ごろ2022早め・・・)長崎梅名所
古野梅園
古野梅園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。古野梅園は長崎の梅名所です。古野梅園の梅見ごろは例年1月下旬頃~2月中旬頃です。古野梅園には約300本の梅の木が植えられています。梅は白梅が257本、紅梅が28本植えられ、白梅は例年2月上旬頃~2月下旬頃、紅梅は例年1月下旬頃~2月中旬頃に見ごろを迎えます。天守閣をバックに梅を楽しむのが美しいと言われています。
【古野梅園 アクセスマップ】
場所・・・長崎県島原市城内1丁目1183-1
【古野梅園 アクセス・交通】
*島原鉄道島原駅(徒歩約10分)
【古野梅園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【古野梅園 時間(要確認)】
9:00~17:30
12月29日・12月30日は休園
【古野梅園 料金(要確認)】
確認中
【古野梅園 歴史・簡単概要】
古野梅園(ふるのばいえん)は長崎県島原市城内にあります。古野梅園は島原城(しまばらじょう)内に整備された梅園です。島原城は江戸時代初期の1618年(元和4年)に肥前日野江藩初代藩主・松倉重政(まつくらしげまさ)が築城を開始し、1624年(寛永元年)に完成したとも言われています。松倉重政は1616年(元和2年)に日向国延岡藩に転封した有馬直純(ありまなおずみ)に代わって日野江城(ひのえじょう)に入城したが、日野江城が手狭であったことから島原城を築城しました。その後1637年(寛永14年)から1638年(寛永15年)に島原の乱(しまばらのらん)が起こり、肥前日野江藩2代藩主・松倉勝家(まつくらかついえ)が斬首され、松倉氏が改易になりました。島原城には本丸・二の丸跡に北村西望(きたむらせいぼう)の個人美術館である西望記念館(巽の櫓)・民具資料館(丑寅の櫓)・観光復興記念館・御馬見所(国の登録有形文化財)・コンサートホールである島原文化会館などがあります。古野梅園には約300本の梅の木が植えられています。梅は白梅が257本、紅梅が28本植えられ、白梅は例年2月上旬頃~2月下旬頃、紅梅は例年1月下旬頃~2月中旬頃に見ごろを迎えます。古野梅園では天守閣をバックに梅を楽しむのが美しいと言われています。復元された天守閣は最上階が展望台になっており、島原市街や眉山・有明海などを一望することができます。なお島原城跡は長崎県の指定史跡に指定され、日本100名城(91番)にも選定されています。
島原市(しまばらし)は長崎県南東部に位置しています。島原市は長崎県南東部に突出する島原半島の中核都市です。島原市は長崎県の雲仙市・南島原市、海を隔てて熊本県の熊本市に接しています。島原市は有明海をフェリーや高速船で結ばれた熊本県熊本市や福岡県大牟田市との関係が深いと言われています。島原市は有明海(ありあけかい)・橘湾(たちばなわん)・島原湾(しまばらわん)に囲まれた島原半島東端に位置し、西側に標高約1,483メートルの平成新山(へいせいしんざん)・標高約818メートルの眉山(まゆやま)などの雲仙岳(うんぜんだけ)の山々があり、東側を有明海に面しています。島原市では東部の海岸沿いに人口が多くなっています。島原市は江戸時代前期の1618年(元和4年)から肥前日野江藩主・松倉重政(まつくらしげまさ)が島原城を築城すると島原藩の城下町になりました。その後松倉氏によるキリシタン弾圧や重税などの悪政により、1637年(寛永14年)に日本の歴史上最大規模の一揆・島原の乱が起こりました。また江戸時代後期の1792年(寛政4年)に眉山の山体崩壊による島原大変肥後迷惑とも言われる火山活動による甚大な被害も受けました。島原市は島原城や武家屋敷など旧城下町の街並みが残る観光都市になっています。
*参考・・・古野梅園(アクセス・歴史・・・)
【古野梅園 見どころ・文化財】
古野梅園の見どころは古野梅園の梅です。古野梅園の梅見ごろは例年1月下旬頃~2月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【古野梅園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・096-356-8005
【古野梅園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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