沓掛峠の山桜(桜見ごろ4月中旬頃)茨城桜名所

沓掛峠の山桜

沓掛峠の山桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。沓掛峠の山桜は茨城の桜名所です。沓掛峠の山桜の桜見ごろは例年4月中旬頃です。沓掛峠の山桜は26本のヤマザクラが群生しています。古木は推定樹齢約130年で、樹高約20メートル・幹周り約3.6メートルです。標高が高いことからソメイヨシノが葉桜になるころから咲き始め、里山を彩ります。

【沓掛峠の山桜 アクセスマップ】
場所・・・茨城県久慈郡大子町大生瀬

【沓掛峠の山桜 アクセス・交通】
*JR袋田駅(車約25分)

*常磐道那珂IC(車約1時間20分)

【沓掛峠の山桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【沓掛峠の山桜 時間(要確認)】
自由

【沓掛峠の山桜 料金(要確認)】
無料

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【沓掛峠の山桜 歴史・簡単概要】
沓掛峠の山桜(くつかけとうげのやまざくら)は茨城県久慈郡大子町大生瀬にあります。沓掛峠は標高約480メートルの高見山(たかみやま)南斜面に位置する標高約400メートルの峠です。沓掛峠は陸奥国会津若松と白河を結ぶ白河街道(しらかわかいどう)、陸奥国会津若松と二本松を結ぶ二本松街道(にほんまつかいどう)の内、上街道が経由していました。沓掛峠は大子町内の大字大生瀬字愛宕下西と大字外大野字南沢を結んでいます。沓掛峠では平安時代後期に八幡太郎(はちまんたろう)とも言われ、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)や室町幕府を開いた足利尊氏(あしかがたかうじ)などの祖先に当たる陸奥国守・源義家(みなもとのよしいえ)が奥州征伐(おうしゅうせいばつ)に向かう際、この地で馬のクツワ(沓)の手綱を木に掛けて休んだという伝承があり、沓掛峠の名称の由来になっったとも言われています。また沓掛峠はかつて人馬の往来も困難な曲がりくねったクツワのような狭隘な道だったことから沓掛峠の名称の由来になっったとも言われています。沓掛峠の山桜は26本のヤマザクラが群生しています。古木は推定樹齢約130年で、樹高約20メートル・幹周り約3.6メートルです。沓掛峠の山桜は標高が高いことからソメイヨシノ(染井吉野)が葉桜になるころから咲き始め、里山を彩ります。沓掛峠の山桜は大子町でも比較的遅い開花になります。なお沓掛峠からは天気の良い日に那須連山や筑波山を眺めることができます。
大子町(だいごまち)は茨城県の北西部に位置しています。大子町は単独で久慈郡(くじぐん)を構成し、茨城県の常陸太田市・常陸大宮市、栃木県の大田原市・那珂川町、福島県の矢祭町・棚倉町に接しています。大子町は宮城県南部から茨城県北部に広がる阿武隈高地(あぶくまこうち)の南端である久慈山地と福島県白河市南部から筑波山に至る八溝山地(やみぞさんち)に囲まれ、中央を標高約1,021メートルの八溝山の北側斜面を源とする久慈川水系の本流で一級河川・久慈川(くじがわ)が流れています。大子町は標高が低いが、盆地にあって晴天率が高いことから冬季に朝晩の冷え込みが厳しい地域になっています。大子町は中世に陸奥国白河郡に属して依上保(よりかみのほ)と言われ、戦国時代に佐竹氏が支配し、江戸時代に水戸藩領となりました。大子町は古くから茨城街道沿いの市場町として栄え、ウシ・ウマの市が行われていたそうです。大子町は現在農業・林業が盛んに行われ、コンニャク・お茶・リンゴなどが特産品になっています。また大子町は那智の滝(和歌山県那智勝浦町)・華厳の滝(栃木県日光市)とともに日本三名瀑に数えられ、四段に分れて落ちることから四度の滝とも言われる袋田の滝(ふくろだのたき)があることでも有名です。
*参考・・・沓掛峠の山桜(アクセス・歴史・・・)

【沓掛峠の山桜 見どころ・文化財】
沓掛峠の山桜の見どころは沓掛峠の山桜です。沓掛峠の山桜の桜見ごろは例年4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【沓掛峠の山桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0295-72-0285(大子町観光協会)

【沓掛峠の山桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
茨城桜名所・茨城桜見ごろ

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