五稜郭公園(桜見ごろ4月下旬頃~)北海道桜名所

五稜郭公園

五稜郭公園

五稜郭公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。五稜郭公園は北海道の桜名所です。五稜郭公園の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。五稜郭公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ(八重桜)・シダレザクラ(枝垂桜)など約1,600本の桜の木が植えられています。高さ107メートルの五稜郭タワーからは眺望を楽しむことができます。

【五稜郭公園 アクセスマップ】
場所・・・北海道函館市五稜郭町44

【五稜郭公園 アクセス・交通】
*函館駅前電停から市電湯の川行きの場合、五稜郭公園前駅(徒歩約15分)

*函館新外環状道路赤川IC(車約13分)

【五稜郭公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【五稜郭公園 時間(要確認)】
郭内入場
5:00~19:00(4月~10月)
5:00~18:00(11月~3月)

【五稜郭公園 料金(要確認)】
有料施設あり

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【五稜郭公園 歴史・簡単概要】
五稜郭公園(ごりょうかくこうえん)は北海道函館市五稜郭町にあります。五稜郭公園は5つの突角した稜堡(りょうほ)が配された星形五角形の国内初の西洋式城塞・五稜郭を整備した公園です。1854年(安政元年)3月に日米和親条約が締結されると箱館開港が決定し、江戸幕府は松前藩から箱館周辺を上知して箱館奉行を再設置しました。その後1857年(安政4年)7月に五稜郭の築造が開始され、1861年(文久元年)に箱館奉行所庁舎の建設が開始され、1866年(慶応2年)に付帯施設を含む全ての工事が完了しました。1867年(慶応3年)に大政奉還されると明治新政府に引き継がれ、1868年(明治元年)10月に榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍が占拠し、翌1869年(明治2年)3月に五稜郭の改修が完了したが、同年5月18日に旧幕府軍が降伏して新政府軍に五稜郭が引き渡されました。その後兵部省・陸軍省の所管になって建物の多くが解体され、1914年(大正3年)に五稜郭公園として一般開放され、函館毎日新聞社が発刊1万号を記念し、10年間で約1万本の桜の木を寄贈・植樹しました。1925年(大正11年)に史蹟に指定され、1952年(昭和27年)に特別史跡に指定されました。1964年(昭和39年)に五稜郭築城100年を記念し、高さ60メートルの五稜郭タワーが開業し、2006年(平成18年)に五稜郭タワー創業40年を契機とし、高さ107メートルの新・五稜郭タワーに建て替えられました。五稜郭公園には函館奉行所・武田斐三郎先生顕彰碑・一万号記念桜樹碑・箱館戦争当時の大砲・兵糧庫などがあります。
函館市(はこだてし)は北海道南西部に位置しています。函館市の名称は元々アイヌ語で湾の端を意味する「ウスケシ(宇須岸)」だったが、1454年(享徳3年)に津軽の豪族・河野政通(こうのまさみち)が館を築き、その形が箱に似ていることから「箱館」と言われるようになり、1869年(明治2年)に蝦夷地が北海道、箱館も函館に改められました。函館市は北海道の北斗市・七飯町・鹿部町、海を隔てて青森県の大間町に接しています。ちなみに函館市は北海道の玄関口として青森と青函連絡船で結ばれていたが、1988年(昭和63年)の青函トンネルの開通によって連絡船は廃止されました。函館市は渡島半島の南東部・亀田半島に位置し、中心市街地は函館平野の東部にあり、東側に山地、南側に津軽海峡・西側に函館湾があります。ちなみに函館港は古来から天然の良港で、形が巴状になっていることから「巴の港」とも言われています。函館市は古来先住民の先住地だったが、15世紀中頃から蝦夷地経営の拠点となり、江戸時代中期に松前藩の番所、1802年(享和2年)に幕府の箱館奉行が置かれ、幕末の日米和親条約では下田とともに日本最初の開港場に指定されました。明治維新後に北海道開拓使出張所が置かれ、1908年(明治41年)に青函航路が開設され、大正時代に北洋漁業の基地として発展しました。
*参考・・・五稜郭公園(アクセス・歴史・・・)

【五稜郭公園 見どころ・文化財】
五稜郭公園の見どころは五稜郭公園の桜です。五稜郭公園の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【五稜郭公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0138-31-5505(五稜郭公園)

【五稜郭公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
北海道桜名所・北海道桜見ごろ

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