花岡八幡宮(桜見ごろ3月下旬頃~)山口桜名所
花岡八幡宮
花岡八幡宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。花岡八幡宮は山口の桜名所です。花岡八幡宮の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。花岡八幡宮には石段沿いなどにソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)など約200本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【花岡八幡宮 アクセスマップ】
場所・・・山口県下松市末武上400
【花岡八幡宮 アクセス・交通】
*JR周防花岡駅(徒歩約5分)
*山陽自動車道徳山東IC(車約10分)
【花岡八幡宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【花岡八幡宮 時間(要確認)】
自由
【花岡八幡宮 料金(要確認)】
無料
【花岡八幡宮 歴史・簡単概要】
花岡八幡宮(はなおかはちまんぐう)は山口県下松市末武上にあります。花岡八幡宮は社伝によると飛鳥時代末期の709年(和同2年)に豊前国(大分県)・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮(うさじんぐう))の分霊を勧請して祀ったのが起源と言われています。花岡八幡宮は「はなおかのはちまんさま」とも言われています。室町時代中期から室町時代後期(戦国時代)に重要文化財である閼伽井坊多宝塔(あかいぼうたほうとう)が建立されました。閼伽井坊多宝塔は飛鳥時代の政治家・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が建立したと言われる伝承が残されているが、1928年(昭和3年)の解体修理の際に室町時代後期の年号「永禄三庚申年(1560年)」が墨書された木片が発見されました。室町時代後期(戦国時代)に大内氏第16代当主・大内義隆(おおうちよしたか)、安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)などから崇敬されました。ちなみに花岡八幡宮には関白・豊臣秀吉の朱印状など97通の古文書類や大太刀などが残されています。江戸時代中期以降の1700年(元禄13年)・1723年(享保8年)・1744年(延享元年)・1757年(宝暦7年)・1777年(安永6年)に閼伽井坊多宝塔が修理されました。なお花岡八幡宮は誉田別命(ほんだわけのみこと)・市杵嶋姫命(いちきしまひめ)・田心姫命(たこりびめのみこと)・多岐都姫命(たぎつひめのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)を祀っています。
下松市(くだまつし)は山口県東南部に位置しています。下松市の名称は飛鳥時代の595年(推古天皇3年)に鷲頭庄青柳浦の松の木に大星(北辰星)が降り、7日7晩輝いて「百済の皇子がこの地へやって来る」ということを告げ、3年後に百済からやってきた皇子が大内氏の祖とされる琳聖太子だったという伝承に由来しています。下松市は周南市・光市に接しています。下松市は周南市と光市に挟まれ、3市で周南地区とも言われています。下松市は瀬戸内海の周防灘(すおうなだ)に面し、海上に瀬戸内海国立公園に属する三日月形の笠戸島(かさどじま)が浮かんでいます。下松市には前期古墳時代の宮ノ洲古墳や古代条里制の遺構が残され、古くから人が住んでいたとも言われています。また下松市は奈良時代以前に朝鮮交易の重要な港ででした。下松市は江戸時代中期頃から沿岸で干拓が行われ、塩の産地・山陽道の市場町として発展しました。下松市は第1次世界大戦後に工業都市として進展し、太平洋戦争後に石油・車両・鋼板・造船・火力発電などが立地する重化学工業都市となり、周南工業地域の一中心になっています。下松市では近年に住宅団地の造成や商業集積施設の建設などが進められ、山口県の市町村の中で唯一人口が増加しています。
*参考・・・花岡八幡宮(アクセス・歴史・・・)
【花岡八幡宮 見どころ・文化財】
花岡八幡宮の見どころは花岡八幡宮の桜です。花岡八幡宮の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【花岡八幡宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0833-44-8570(花岡八幡宮)
【花岡八幡宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●山口桜名所・山口桜見ごろ
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